媒体の終焉は
「テレビはオワコン」とさえ呼ばれていた時期もあるけれど、いやいやまだまだと、頑張って視聴率を稼げるドラマが展開されている。私もテレビを見なくなって久しいけれど、いや、コンテンツ制作は頑張ってもらいたい。
とは言え、様々なメディアがこれまでに生まれ、当初は栄華を誇ったそれも、だんだんと主役の座を譲ってきた。
活版印刷にはじまり本や新聞が作られ、電気や電波が発見されて電話やラジオが生み出される。すでに50年前には、日本では電話がほぼ行きわたり始め、テレビも普及し始める。
当初は通信と放送とを別々に分けていたけれど、それらが融合し始め、今は通信でも放送のように見えるものもあり、放送でも通信のように使える場面も。
だがそうして新しいメディアが出てくることで、昔からの古いメディアはすべて消えたのか?はっきりわかる、いまだに「本」は消えていない、という事からしてお分かりだろう。古いメディアの多くは消えていない。もちろん、主役を完全に譲り、コストパフォーマンスの観点から消えてしまったものもなくはないけれど、でも、ラジオや本といった王道はなくなっていない。
特に、再生装置、再現装置が必要なメディアはそもそもコストがかかり、それがマイナーになればなるほど「機器を作る」コストが負担しきれなくなり消えゆく運命はある。けれど、本、写真など、ある意味「紙」というメディアは最強だ。再生装置として光さえあれば見ることができる。
上記に書いた通り、高価な再生装置が必要な機器はいろいろと消えてきたし、消えつつある。アナログレコード、コンパクトカセット、マイクロカセット、DAT、MD、VHS、ベータ、レーザーディスク等々。CDがいまだに生産し続けられているのが不思議なくらい。
もちろん、データはよほどのことがなければなくならないのだけれど、再生されなければ「ただのモノ」。意味ある塊にするのか、意味のないものになるのかは、再生装置があってこそ。と考えると、媒体の終焉は、再生装置が存在し続けられるかどうかにかかわっているという事。