反撃するのは

「ここで戦う」と覚悟を決めたからこそ、反撃する。ここで戦っても絶対的に勝ち目がなかったり、不利益が大きいと思えば、じっと耐える、もしくは嵐が過ぎ去るのを待つ、逃げる等々の戦術がある。

 

 

「言いたいことは言い合えるようにしよう」、などという社内の風通しを良くしたい上司がスローガンを掲げたりする組織があったとして、本当にそんな風に言えている組織はどのくらいあるのだろうか?

互いの立場や役職があり、ここで言い返しても、喧嘩しても、後でケロッと忘れてくれたり、あそこはあそこ、ここはここと「本当に」割り切ってくれるという信じられるもの、信頼があればこそ、その場で戦う、意見を交わす気にもなれる。…が、どんな組織でも、立場による利害関係があれば、絶対の保証などどこにもないのが事実。無礼講?を信じたばっかりに…というケースが後を絶たないのはどこでも聞く話だ。だから立場として下の者は、いくらスローガンを掲げられたとしてもそうした動きには出ない。

結局いくらスローガンを掲げても、組織としての信頼、上司としての信頼が裏付けられうるような日々の行いが積み重ならなければ、そうした方向への組織的舵はなかなか切れない。それがその組織の限界点だろう。

 

それをもってして、あなた自身が見限るのもよし、黙ってポジションを固めるのもよし。

やはり最後に見えてくるのは、度量の広さとか、本当に目指しているものとか。

その刹那の口先だけではない、そうした日々の言動で、判断されてるんだよ。

良いスローガン…じゃなくてさ。

 

それは手段ではないのか

未婚者が爆発的に増えているらしい。それによって子供の出生率も下がり、日本の人口は明らかに減少期に入っている。

だから結婚させるための政策などをどこかのポンコツ官庁が考えたりするわけだが、成功した試しがないのは皆さんご存知の通り。

 

ここまでのところ単純な、そもそも「人口減」がマズイ→だから出生率をあげたい→そのためにはまずは未婚者を減らし既婚者を増やしたい。…みたいなロジックがどこかにありそうだ。

ところで、特に結婚願望が高い人はおいておくとして、そもそも結婚は「目的」なのだろうか?結婚せずとも子供は作れるし、結婚せずとも人口だって増えるはずだし、そもそも結婚以外の幸せな人生だってある。とすれば、結婚しなくたっていいはずで、このこと自体が、結婚が目的ではないことの証でもある。そういう施策に切り替えるのもありではないのか?

それでも「結婚」がもてはやされるのは、そもそも結婚することによる税制などで優遇措置があったりするため、一人で住むより二人で住む方が効率よく過ごせるから、などなど制度的、経済的効果が大きいからこそ結婚が選択されがちになるという事実はある。

だが上記のべつのぱたで、結婚せずともなんらか別の形で恩恵が受けられるなら?それを実践していたりするのがフランスだろう。婚外子を差別なく認めるところから始まり、(詳しくはないが)既婚者に近い形の優遇措置が、未婚者であったとしても受けられる。

 

さらに、子供は作りっぱなしでは育たないため、そうした保育時間、保育施設、保険や医療措置などのバックアップがあってこその子作り施策。増える老人向けの施策方向ばかりに力を入れていてはいつまでたってもできない相談だろうが。

 

一方で明らかに高齢者世帯が増えていく中で、いままでかけてきた費用から減らします、という施策は「政府」としては打ちにくい。だがいったんそちら(高齢者側優遇)で回りだせば、ドンドンと子供は減り、高齢者は増え、スイッチを切り替えるタイミングは永久にやってこなくなる、と言うスパイラル。

 

結婚と、人口減少と、経済発展と…どれもが絡んでいるのは分かるのだが、まずそれぞれで現実的な方向を決める事。そのうえで、そのそれぞれの方向をどのように絡めていくかを決める事。もちろん互いに制約条件になり、そうそううまく行かないのは承知の上だけれど、でももうここまで来ているのだからやるほかない。決着をつけず、決めず、時間に流されることこそがどれほどマズイこと、時間をロスしている事、座して死を待つに近い状況になっていることは、築地豊洲等々のそのほかの政治を見ていて、皆さんよくご存じでしょ?もちろん結果として、誰かは痛手を被るかもしれない。でもそうしなければ、今痛めつけられている部分が拡大して最悪に転がり込むフチが見え始めている。どちらを選ぶ?と言う話でしょ?

 

 

前提条件の再考

すでにどこのマスコミも取り上げているように、日本の人口は明らかに減少期に入った。このまま大きな施策の転換でもない限り、日本の人口は急激に減り、同時に労働者人口が減り、いわゆるGDPは伸びるどころか、縮小方向に動き出してもおかしくない状況だろう。サミットやG7云々と言っていられるのもあと何年見られる状況か、ということだ。

 

別に日本に限った事ではないけれど、そもそもこの50年~100年程度は、どこの国においても、人口が増えることを前提とした経済発展を描いてきたはずだ。その「エンジン」をつかって、いかに効率よく国の経済を発展させ、世界の中でのし上がっていくのかというのが、これまでの経済成長の大原則。

かといって、鼠算式に倍々ゲームで爆発的にインフレーションしてもらっても、人の意識、経済の仕組みが追い付かないため、それらのバランスを取りながら、徐々に発展させてきたのがこの50年~100年ではないのか。

 

ただ、日本がほぼ先頭を切っているが、人口が減る国はほかにもある。急激に国民の平均年齢が上がったり、それによる医療費の拡大に悩まされるであろう国々は少なくない。もちろん、まだこれから人口が伸びるであろう国もある。これからはそんな、今まで以上に様々な側面を持った+成長の国、-成長の国がない交ぜになった地球が運営されていく必要がある。

 

となれば、まずは手始めに日本としては、「人口が減る事」による幸せの方向性を模索する必要がある。…が、これほど難しいことはない。すくなくとも今までは「成長」が前提となった前の世代が「お手本」になっているし、身近なところではそうした「親」が、「自分たちは成長したけど、あんたからはマイナスね」という事を子供に望みはしないだろう。

だが、否応なしに事実は突きつけられる。

 

不幸中の幸いなのだろうか?今の10代20代は、いわゆる「インフレ」を身をもって感じたことがない世代ではないだろうか。-ではないものの、成長しない経済を前提に育ってきた人々が社会に出始めている。

そんな彼らに、消費を伸ばせだの、無理して買えだのと言ったところでそもそも通用しない。となれば当然、「今まで基準の経済」は回らないし、指標としてそもそも不適切ではないだろうか。

 

だが、減ることによる幸せ、少なくなることによる幸せは何か、見かけ上はどんどん不便になって行くことになりはしないか?そんな不安にもさいなまれたりする。

となればなるほど、それぞれの「個」に、個としての望みや幸せ、ありたい姿が求められる時代。今までの経済発展の時代は、自分が希望するしないにかかわらず、周りの経済が何となく成長していたことで個の幸せも形作られてきた。それがまわりまかせにできなくなる世界。それがもうすぐ目の前に来ている。

 

あなたの幸せは何ですか?

10年後、どうなっていたいですか?

 

 

 

 

 

解は、課題が持ってくる

「解」が先に存在している課題、問題はない。「解」があるように見えるのは、それは必ずそれを使える、使わなければならないシチュエーションたる「課題」「問題」がそこにあるからだ。

 

無駄に見える新技術が開発できたところで、利用シーンが見えてこなければそれは「解」ではない。見えてきた瞬間にはじめて、それが「解」になる。逆はあり得そうだ。今の課題が現状のスキル、技術で対応できないときに、様々に手を尽くして解を探す。

こう考えると、「解」は、必ず「課題」が連れてくる。もちろん、「課題」だけが単独でやって来て、なかなか「解」が見つからない事も多々あるだろう。しかし、「課題無くして解なし」。課題ファースト。

 

と考えれば、どのようなシーン、状況であったとしても、そこに「課題」を見つけることこそが改善、進化の道。今の現状のままでいいや…と思った瞬間に進化や改善が止まる。

であるならば、今の問題は、課題は?と考え続けることこそが重要。安穏とこのままでいいと思った瞬間に止まる。

 

で、今あなたのお困りごとは何ですか?

人手不足と効率化

知人と話をしていてこんな話になった。

「公になった数字の発表はあれど、一向に景気が上向いている感はないよね。労働人口も減っていくことが明らかになっている現在。そんな中において、リストラと称して、構造改革ではなく、明らかに単なる人切り、人減らしに走っている企業って、なんなんだろうね。ある意味でとっても贅沢な作業に見えるんだけど…」

 

少し想像するだけで見えてくるけれど、「今いる人」を、新たな切り口、新たなビジネスに振り向けることができなかった「マネジメントの失敗」こそが、昨今の景気低迷、企業業績低迷を生み出す大きな原因の一つと言うのは自明だろう。(その証拠…とまではいわないけれど、シャープの現状を御覧なさいな…。やっぱり今の時代のトップを張れる人材が日本の中にはいなかったのでしょうね、きっと)

 

そうしてリストラをしている割には、中途採用の流れが活発化している事実もある。

これがどういうことかと言えば、結果として「自前で教育して、人を育てるコストは賄いきれん。なので、すでに育った、成長した、即戦力だけ欲しいんだけど」という個別最適か判断の結果のひとつであろう。

 

日本企業の強みの一つとして、今はもう完全に崩壊したのが「終身雇用」。これはもちろん、デメリットの部分もあるのだが、メリットとして、就職した瞬間から、自前の社員をきちんと教育し、育てる…ということを進めてきたこと自体は、とても大きな力になっていたはずだ。にもかかわらず、今はもうほとんどが自前で育てることなく、育った果実を奪い合う。

 

ある意味、それくらい大企業であってさえ巨大なリスクにさらされている昨今。リスクに対する対処、ビジネス展開の勘所がきちんとわかって進めていけない事には、あっという間にひっくり返ってしまうという事だろう。

 

とは言え、だからと言って今の現状で、人を囲い続ける、雇い続けるほどの強靭な体力がある企業は少ないだろう。だから切らざるを得なくなっている。この先が見えていてさえ。

他方、今現在の仕事のうち、やがて5年後、10年後にはなくなっているであろう仕事というのも予想されている。AIの進化やロボットの進化などで、今の人手は必要なくなるのだろう。こうした効率化の恩恵は、働き手ではなく、株主に集まる。…だからこそみなさん株に投資してね…というのが昨今の風潮なのかもしれないが。

 

 

でも、基本は、やっぱり「働いて対価を手にする」でしょう。全員が投資家になる世界は、200年後にはすべてがロボットになっているのかもしれないけれど、ここ10年20年では来そうにないのだし。となるとやっぱり、手に職をつける、人間であることに価値がある仕事に逃げ続けるしかないのかな。

ただし、それは「自分が思う自分の価値」ではなく、「他人が思ってくれる自分の価値」を探しに行くべき…ってことのはずなんですよね。