落ち込む日々

毎日、あぁ、あれもできなかったとか、これがうまくいかなかったとか、なかなか満足いく日々を過ごすことができない…ということは少なくない。自分の実力を振り返り、これからやらなければならないことを認識すると、あまりの大きさにひるんでしまうこともある。

 

じゃあ、あぁ、今日はあれもできた、これもうまくいった、ハッピーハッピーという日々との違いはなんだろう?どうしてそんな日が増えないんだろう?

 

 

「できなかった」という時というのはどういうことなのか?、そのためにはたぶん「できた!」ということを前提としたイメージが存在しているはずだ。で、その「できた」ところに足らない何かがある一定以上に多かったということをして「できなかった」と落胆する。

「うまくいかなかった」というのも全く同じで、「うまくいった」イメージがあるからこそ、そことのギャップを感じることになる。

要するに、何らかの理想状態が(明確なのかどうかは別にして)、何らかのイメージが描けており、そこと現状との“差分”をもってして、それが大きいほど落胆する、ということになる。

 

逆を考えてみよう。

「できた」イメージもない時に「できなかった」と落胆することがあるだろうか?それはもしかしたら、何となく時間が過ぎていった時であったりしないだろうか?で結果として、あの時間はなんだったのだろう?といった反省をしたり、それすら気づかないことに。

 

であるならば、「落ち込んでいる」事の方が、何にも気づかないよりは少し進化しているとは考えられないだろうか?そして願わくは、単に落ち込んでいるだけよりも、どうして落ち込むことになったかの原因を考え、それに対する対策をきっちりと打つことで、“次は落ち込む必要がない”ようにできる。

これこそが進歩の第一歩であり、それが無ければ、時間を無為に過ごしていることと、あまり変わらない結果が導かれたりもする。

 

「落ち込む日々」に落ち込む必要はない。むしろそれは成長への最初のステップ。