なんとなく、明確に

昨日の夕食、おいしかったですか?お昼に食べた食事、いかがでした?おやつにたべたお菓子、いつもの味?定番の安心の味でしたか?

 

値段の高いおいしいものと、値段はリーズナブルなんだけど後を引く味と、どっちも好きじゃないですか?

 

子供なんかに、ちょっと高めの大人の酒の肴なんかをためしにちょっと上げたりして。子供が「うわっ、(生)臭い!」なんて言おうものなら、大人がにんまりとしたりして。

それ、本当においしいんですかね。いや、酒のアテとしておいしいものがあるのもよく知ってるんですけど。

 

 

大人になると、希少価値だとか、限定○個、この時期だけといったことをありがたく受け取って、それを味に反映させて評価してみたり。

別に料理に限らず、その商品の「背景情報」を、その商品の価値としてみたり。

別にNASAの技術であろうとどこの技術であろうと「技術」には変わりないはずなのに。別に目の見える人が作ろうと目の見えない人が作ろうと同じ音楽のはずなのに。

 

純粋に、その「モノの価値」が判断できる人って、私を含め、そうそういないだろう。簡単じゃない。権威に惑わされ、情報に踊らされ、会社のネームバリュー、そのモノの真の価値を見る目を曇らせてくれる情報は、枚挙にいとまがない。

 

せっかくここまで来たんだからと、ちょっと高い方がいいと信じて挑戦してみたり。でもその差異はどこに違いがあるかなんて何にもわからなかったり。

 

本当に自分に必要なモノ、自分がほしいモノ、自分が得たいモノが分かっていないから、そんな外部の評価に頼りたくなる。そしてそれが権威となり、それがレッテルとなる。

 

迷いなく一度は試してみるしかない。一度は手にし、目にし、耳にし、口にして、どれほど良いのか悪いのか、はずれを引くしかない。そして「自分で得た一次情報」でのみ選択しない限り、そうした外部の二次情報に頼らざるを得ない。

 

そういう状況にあるのだと認識したうえで、それでいてさえもどうするのか、どうしたいのか。頼らざるを得ない世界は広がる。