部品化への道

マシンは、究極の無駄時間排除装置でもある。組み立て工程におけるマシンは、最短距離、最短時間で、単位時間あたりにより多くのものを作り出したり、より多くの検査をこなしたりする。

 

彼らに余裕時間があったとしても、それはある意味のダウンタイムであり、その時間で、マシンが何かを生み出すことはない。

 

人には無駄がある。無駄時間がある。その中で友人と雑談をし、いつもと違うことを考え、何かほかの事に気を取られていたりする。

が、時にその全く関係のない事象、アイデアが、突如仕事にかかわる何かに生まれ変わることがある。

無駄時間、余裕時間が新たなひらめきを生み出したり、新たな価値を生み出す。

 

いや、逆にこうした価値を生み出さないならば、マシンと同じように、無駄時間削除の方式に走るしかない。そこからは何も生まれず、疲れを知らない機械、部品と同じレベルでの競争を強いられる。

 

とは言え、そんな新たな価値を誰もがポンポンと生み出せるとは限らない。いや、結果的につまらない事はいろいろポンポン出ているんだろうけれど、それをきちんと受け止めたうえで却下する必要がある。受け止めもせずに却下し続けるから、生み出すことを辞めてしまう、みんなを部品化させていってしまう。

 

まずは受け入れよ。その上で、たぶん99%は捨てられるものだと認識せよ。

ただし、100の全く違う何かがだせれば、もしかすると1つくらいは役に立つことになるかもしれない。それを生み続けることをあきらめた瞬間に、競争すべき対象が変わる。