奪ってはいけないこと

どんな仕事であっても、製造業、サービス業いずれにおいても、昨今は、早く、短時間に…と、時間的制約を迫られる。今のところ唯一誰にでも平等に与えられている資源であり、であるがゆえに、誰でもほぼ等価な価値を生み出す可能性を与えられている資源。

 

たとえば、いままで半年かかって作り上げていたモノを、5カ月で仕上げる算段ができたとする。と、会社側はこれでウハウハ。5か月分の人件費で、これまでの6か月分のモノが出来上がる。大きなコストダウン。

 

…で、このコストダウンにより得られた資源で、何をするのだろう?

 

ちょっと考えてみてほしい。いつまでも無限にコストダウンができる、いわば、最後はコスト0にまで持っていけるという世界ならともかく、どこかに限界があるとするなら、いつまでもコストダウンだけをしているようではいずれ行き詰るのは目に見えている。とするなら、このコストダウンによって得られた資源、それは時間であり、お金であるはずなのだけれど、それで「新しい価値」を生み出す創意工夫や挑戦をする以外に道はないはず。

 

ところが間違った所においては、こうして得られた資源によって、「次のコストダウン」を生み出そうとする。いや、完全に間違いとは言わない。それも一部は良いと思うけれど、それでも、コストダウン以外の価値創造に使わなければ、いずれはジリ貧になるのは明白なはずなのだ。

 

コストダウンによって得られた時間は、価値創造の時間として、新たな何かを生み出さなければならない。それは新技術であってもいいし、技術は伴わないものの新アイデアであってもいい。とにかく、今気づいていないけれど、具現化することで必要とされるもの、必要だ価値があると認められるもの。

 

そうした生み出した時短、時間、資源を持ってして、さらにハードに仕事をさせたり、考える時間、挑戦することではないことに当てているとするなら、それこそが価値を生むことを奪っている、新規創造の源泉を枯らしていることにつながっているはず。

 

いつまで努力していても、無限に短くできるのならばそれでもいい。でもそうでないのなら、奪ってはいけないことがある。それに気づけない「場」だとするなら、逃げた方がいいかもしれない。