してもらいためにそうする

いっしょに口ずさんでもらいたいと思うから、歌詞を載せる。

ただ単に載せるのではなく、その年代に合わせた形で、ときには漢字にふりがなを打ったり、もっとわかりやすくはひらがなで表記したりする。

でも最近は、歌詞をいっしょに載せない番組も多い。なにかビジネス的意味があるんだろうか?

 

そもそも最初は歌なんかなかったところから、主題歌が作られたりもした。歌は、そのターゲットの子供たちが口ずさめるメロディ、その子供たちが口ずさめる歌詞で作られていた。

ところがどこのタイミングからか、雰囲気が先行したのか、歌詞が子供たちの理解を超えだした。口ずさむには難しい言葉がはまりだした。はっきり単語単語を口にしていた旧来型の主題歌から、言葉の雰囲気、音のイメージを先行させるような形が横行しだす。それは、○○少年少女合唱団というところが歌っていた時代と、既存の(すでに自分たちグループイメージを持つ)歌い手、アーティストを採用するところからも違いが出ているだろう。

 

それでもまだ、アニメにしろ特撮にしろ、子供たちが一緒に楽しんでもらうための主題歌も存在する。子供たちがそれを見て、そのオープニングを聞いて、“あがる”主題歌になってほしいと思う作り手の意思がそこに写りこむ。

 

アンパンマンの主題歌が、どれほど心の支えになったのか。

他の番組の主題歌は、その代わりに成れるのか。

 

メッセージを伝える機会は意思を持って作る。

そうしてもらいたいと思うから、その機会をとらえて、そうする。