チキンレース

もうここ10年の話だと思うけれど、リスクを取ろう、リスクを取れと、事あるごとに物事に果敢に挑んでいくことを強調し、より大きな仕事や作業に挑むように促される。

 

じゃぁそれ以前はリスクに挑んでいなかったか?というとそんな気はしない。リスクに挑んでいたからこそ新しい技術も生まれたし、リスクに挑んでいたからこそそれまでにないビジネスも展開できた。ただし、それはその当時にリスクに挑むこと“ができた”立場の人々が挑んでいたことが多く、万が一それに失敗しても、まぁ残りで何とかやって行けるさ、という状況が、それとなく見えていたからこそだろう。そういう意味では余裕があったからこそのリスクへの挑戦でもあり、その余裕を使ってのリスク対応だった。

 

今でもそうだろう。余裕のない者がリスクを取って、もしそれが失敗したら人生が確実に終わる、とわかっていれば、そもそもそんな大きなリスクは背負わないし挑まない。万が一失敗しても最悪の場合の逃げ道があると思うからこそ挑戦する。

 

 

違う言い方をすれば、リスクに挑むためにはそれなりの準備がいるということだ。無謀に/果敢に挑むことだけを声高に叫ぶだけのリーダーは信用しない方がいい。戦力を無駄につぎ込む無能なリーダーが少なくないからだ。そしてそういうリーダーほど、自分が果敢に挑んでいるかどうかを、自ら指導している者から問われると逆上したりもする。自分ができていないことを指摘されることを、怒りをもって防ごうとしているだけだ。

 

そういう意味では、仕事がチキンレース化しているといってもいい。どこまでギリギリを突けるのか。誰が最後まで我慢していられるのか。でも、我慢した先を準備しているものとそうでない者では、おのずと勝者は見えている。

 

リスクは時代的に取らざるを得ない時代になりつつある。であるがゆえに、準備を怠れない時代になったとも言える。