必要の無駄、無駄の無駄

すでにここ10年、15年ほどは、言うまでもなく日本経済が大きな痛手を受けた時期。デフレだと言われ、モノの値段がどんどん安くなる。一見良いように感じる側面はないではないけれど、それは言ってみれば「何をしても価値が縮小していく」という方向に動く時代。ならばそもそも「活動」自身をしても意味がないのではないか?とも思える時代。

 

であるからこそ、無駄に見える者は何でも切り捨てる。無駄なスペース、無駄な時間、無駄な関係、無駄な作業…。

 

しかしそれを突き詰めすぎておかしくなった組織や団体は枚挙にいとまがないほどではないだろうか?そもそもそうした状況を作り出したことで、しごとがうまく回らなくなったり、システムとして機能しなくなったり。

 

無駄取りは、国民性として日本人は得意なんだろう。だからこそ、さまざまな場面で無駄に見える者を取り除いてきた。省エネにはじまる省○○は得意中の得意。

だが、だからと言って取ってはいけないモノを取ってきたのがここ10年じゃないだろうか?本来、その無駄があることで円滑に動いていた組織や空間が、無駄がそがれたことでギクシャクしはじめる。そこではその無駄こそが有用だった。

 

絵画などを見ると、何もない空間があったりする。構図が決まっていることで、その何もない空間こそがその中にある意味があることがある。何でも描いて埋めればいい、というものではない。空間があることの意味。

 

車のハンドルだってそうだ。ちょっと右や左に回したところで、車は簡単に曲がらない。ハンドルに「遊び」があるからこそ運転しやすいわけで、当然事故の低下にもつながっているんだろう。

 

そんな、組織上の遊び、余裕、無駄。取りすぎたとわかればもう一度そこに与えればいい。与えればいいだけのはずなんだけど。