線から逃れられない

音の記録は、ロウ管から始まったのだけれど、爆発的な普及を見たのはレコード盤からだろう。裏と表に音の溝を刻みこみ、そこに針を落とすことで音を出す。

その次に磁気テープへの記録が続く。そしてその次にCD。その後いろんなディスク状の記憶媒体も出るけれど、今はもっぱら記録媒体は二の次で、ファイル形式のデータとして、データが記録できる媒体なら何でもいいということになっている。

言ってみれば、「円盤状」から「紐状」、で次に「紐」から「円盤」、そして媒体によらない世界へとなってきた。

 

映像はというと、音楽の最初のレコードに相当する円盤部分がない。最初が磁気テープだ。そしてその次がDVD、BDと来て、やはりこれもファイル形式へとなりつつある。

「紐」から「円盤」だ。

 

円盤状なら、いきなり何本も筋を飛ばしてアクセスすることが可能だ。大昔のレコードなら、隙間がちょっと広いところを3本飛ばすと、4曲目にアクセスできる。CDでいきなり光ピックアップが曲を飛ばしてアクセスできるのも同じだ。

だが「紐状」の媒体なら、それらを横切って横断することは物理的にできず、早回しして送るしかない。そこにある経路は変えずに、高速に通り過ぎる事でしかそれ以後にアクセスすることができない。

 

いきなり経路を飛ばしてアクセスしても成り立つ媒体と、高速に通り過ぎるしか通り抜けられない媒体と。前者は、そもそも経験する経路を通っていない。なのでそこに当然ながら中身はない。後者は、経路を通っているけれどそこを高速に通り過ぎている。もしも高速にそこにある情報を吸収できる方策があれば、それは大きな力になりえるかもしれない。

 

 

人の人生はランダムアクセスできない。いわばひも状になっていて、経験を積んでしか次に行くことができない。時に高速に過ぎ去る時期もあるかもしれないけれど、そこでは一生懸命物事を吸収するしかない。後戻りもできなければ、ランダムジャンプもできない。

早回しで人生を送ったつもりでも、そこはある意味空白だったりすることもある。時間を早回しするというよりも、吸収力をあげるしかない。手順をきちんと踏まなければ、何事も正しく吸収できないことが少なくない。

 

あせるな。着実に吸収しよう。