つきつめて

人の基準に乗ろうとすると、いろいろ苦労することがあるのは、皆が通ってきた道。入試をはじめとしてさまざまなテスト、認定試験等々は、それを司る組織が、ある基準を設けていたりすることが多い。

そこに乗ろうとすると、それを規定した人が掲げたさまざまなハードルをクリアーできることを、その数だけ超えていかなければならない。たとえば英語のテストであれば、単語の数、文法、読解力、読解スピードなどといった様々な種類の理解を適切にこなす事が要求されたりする。

それに対して、自分で規定してしまいさえすれば、少なくともそれと似たようなことを他の誰かが規定していない限り、「自分がルール」になる。
…であるからこそ、他にはないユニークな事をすることこそが自分がルールになりえるし、自分がその世界のトップになりえる。

ただ、それがあまりに模倣しやすかったり、誰にも価値がなければ、単なる個人の戯言にすぎない。ただしそれは「その時点において」と言う事。


もしかすると3年後に、その事に価値が生まれる世界が来るかもしれない。それを突き詰めていくことにより、その時には価値のないレベルであったものが、時間を経て技術が磨かれることによって、いきなり大きな価値を周りが感じることになるかもしれない。
ただし、それが3年後に確実に来ることは誰も保証できない。もしかすると当人が亡くなった後になって初めて、没後に認められると言う事も過去に何度もあったこと。芸術や科学技術においては稀ではない話だ。

だからこそ、世界に一つだけの何かを生み出し、そしてそれが皆に価値があると認められたり、気に入られたりするものになるように努力をする。


ただし、ごくごくたまーに、そんなことを全く気にせず、当人の趣味性が高い事を突き詰めただけで、それに周囲が大きな価値を見出したりする場合がある。まぁそれを狙うのもよし。なんにせよ、突き詰めて、その世界でのトップに立とう。これだけ広いネットの世界だ。そこそこの受容は見いだせる時代になってきてるんじゃないかな。