オタクの谷

「ブキミの谷」という言葉をご存じだろうか?ロボットの動きや形がだんだんと人間に近づくにつれ、それ以前には何とも思わなかったそのロボットが不気味に思える、そんな感覚。そこを乗り越えなければ、ヒューマノイド型ロボットが、既存の人間の生活圏の中で共に仕事をするという環境は難しいだろう、とさえ言われていたりする。

 

ふと気が付くとそんな言葉が出来上がっていた「オタク」。私はこれにも、ブキミの谷同様に、「オタクの谷」が存在するのではないかと思っている。

「オタク」それはいろんな定義があるのかもしれないが、とある一つの事については、やたら詳しかったり、執着していたりする、そんな人物。その対象は、昔はそれこそアニメ系一辺倒であったであろうところから、最近では多岐にわたり、アニメはもとより、特撮、映画、鉄道、歴史等々、なんでも趣味が高じると「オタク」というくくりで呼ばれたりする。

 

そうした趣味に興味のない人からすれば、そんなことに情熱をささげられるのか、すごいねぇすごいねぇと、半分くらい蔑んだまなざしを含みながら、残り半分は尊敬のまなざしを含みながら、少し遠目で見守られる。
けれどそもそも技術の匠(たくみ)と呼ばれるような人々は、ある一つの事に対してずっと突き詰めてきた人だったりする。博士(ドクター)と呼ばれる人々は、別に医師に限らず、一つことに突き詰めたことを認められたからこそそのように認定されている。
そしてその突き詰めたことが、何らかのきっかけで社会に大きなインパクトを与えたり、日々の生活に大きな影響をもたらしたりしたときに、彼らは「オタク」ではなく、「偉い人」「すごい人」に昇格したりする。まさに、単なる趣味性から大きな価値が認められた、谷を越えた瞬間。世間がやっと追いついた、なんて表現をすることもある。

 

もちろん、越えずに一生を終える人の方が多いのだろう。けれど、それは「多くの価値」として認められなかっただけ。今や小さな価値を小さなコミュニティで認めることができる時代になっている。
世界に一つだけの花」なんてのは、要するに他にはまねできないオタクたれ、と説いているように理解するのは、うがちすぎだろうか?