私も同じで

いくつかの選択肢がある中で、皆さんどう思いますか?と聞いた際に、ばらけるのではなく、いくつかの意見に集約したり、偏ったりする。同調圧力と呼んだり、横並びと考えたり、いやいやそもそもそれ以外は選択肢としての価値なしと呼ばれたり。

一人一人にうかがってみたところで、同じものを選択している人たちからは、さほど違う意見が出てこない。時々「さらに加えると…」なんて自説を披露してくれる人もいなくはないが、まれだ。


シチュエーションにもよる、だから一概に言えないというのは重々承知の上だが、皆と同じ、横並びというのは、「楽」だ。違いがある、差があるというのは、それを主張し続けるのにエネルギーが必要であり、しっかりと考え続けなければならず、場合によっては防戦しなければならない。そんなエネルギーを使うくらいなら、皆と同じ戦略に乗っておいた方がいい、「私も同じ意見です」と言う事で考える事すら似たような範囲を逸脱する必要はない。

 

でも、だからこそ違う意見を選んだらどうなるか「考える必要」があるのではないだろうか?考えなければ始まらないし、考えなければ理解も深まらない。いや、楽はしたいよ、正直なところ。でもそうしているとやがて落ち着いて、一つところ、一つのことに固まり、固着し、違いが必要なくなる。面白味がなくなる、興味すらなくなる…。

 

「あー面白いことないかなぁ、つまんね」

とか言ってる暇があるなら、考えてみれば?違いについて、なぜ違いが生まれるのか?もしくはなぜ違いが生まれないのか?簡単に答えが見つかると思うでしょ?それがそうでもないっすよ。興味は、与えられるものではなく、自分で生み出さなきゃ。そのためには、考えなきゃ。