幸せの在り方

毎日デザートを食べないと物足りない。

これは私が、イギリスで出会ったとあるご夫婦がおっしゃっていたことだ。日本に旅行したとき、食後のデザートが貧弱だったのが大変さびしかったらしい。もちろん、その日の夕食で、私はチョコレートを何枚かいただきながら、その話を聞いた。

旅行命。こういう人もいる。学生時代から、ちょっとした時間ができると、ふらりと旅に出る。バイク好きだったこともあって、いろいろと話を聞いたりもした。

マンガがないと満たされない。こういう人もいる。活字中毒、本の中毒なんてのもそうかもしれない。

昔は「マンガ(今でいうアニメ)なんか見てないで、勉強しなさい!」などと言われていた。大人になれば、自然に見なくなるだろう…と、親も、当の子供も思っていた。
が、現実はというと、今は“大きなお友達”ターゲットのアニメがいくつも作られ、そして“お友達”は嬉々としてそれを楽しんでいる現実。つい先日も、そうした人たちが一堂に集う年に二回の集まりなどもそれを象徴しているんじゃないだろうか。


そもそも、今から20年前には思いもよらなかった「職種」で生計を立てている人たちが大勢いる。携帯ゲーム業界など、20年前の誰が想像していただろうか?
それと同時に楽しみだって同じじゃないだろうか。どんどんと多様化し、以前には想像もつかなかった趣味や楽しみが生まれる。
たぶん、以前は楽しんでいた楽しみ方が、今ではもうそういう楽しみをしている人がほとんどいなくなった、というものもある事だろう。

すべての価値が多様化している時代。それら多様な一つ一つが、受け入れられるというのは、それはそれで幸せなこと。そして、その中で何に楽しみを見出すか、何を楽しみとするか、それを選べるというのは、ある意味贅沢な状況。

だから自分で決めればいい。こうしたいなとか、こうなりたいなとか、こんなことがしてみたいとか。それを妨げているのは、(もちろん経済的状況というのも大きな一因としてあるのかもしれないけれど、それすら含めて)自分での決断、自分で何かを決めるということじゃないだろうか?

 

決めればいい。それが間違っているなどと、人の判断を気にする必要はない。
あなたの幸せは、他人の価値に乗る事ではなく、自分の価値を自分で決められると言う事なのだから。