習いたい事、習うべき事

子供のころ、友達が○○を習っているのを見て、自分も行きたい、と言った事のある人、いらっしゃらないだろうか?

 

大人になって、誰かが○○免許を取得したというのを聞いて、内心焦りを覚え、口には出さないけれど、会社の帰り道に最寄りの本屋に立ち寄って、資格のコーナーをうろついた覚えのある人もいるのではないだろうか?

 

人には習いたい事が出てくることがある。習わなきゃと焦ることがある。ジョブズのように「コネクティング ザ ドット」といって、すべて無駄なことはない、何でもつながりが出てくるモノさ、と言う考え方ももちろんあるのだから、何を学んでも有効、無駄なことは一つもない…と考えるのもひとつ。

だが、大人になればなるほど、時間は貴重だ。できるだけ効率よく、そして必要なこと、有益なことを身に着けたい。が、一足飛びに「習いたい事」「習いたいところだけ」を学んだとしても、そもそも基礎が身についておらずに無駄足を踏むことも少なくない。

 

何を習うのか、何から習得すべきなのか、どういうステップを踏むのが効率的なのか?適切なアドバイスをどこに求めるかで、実はその後の伸びに大きく違いが出るのも珍しくないだろう。
しかし、そうした「その筋のプロのアドバイス」というのは、まだ形になっていないもの。いわば、海のものとも山のものともわからない。特に日本人が価値を認めがたいところに他ならない。であるがゆえに、似非アドバイスを無料でやるところもあれば、本気でとても価値のあるアドバイスを(本当はお金を取りたいけれど)泣く泣く無料で行っているところもある。

 

価値を見出させるだけの実績をどうやって積むのかは難しい。
ビジネスでブレークスルーするべきポイントの一つだろう。
習いたい事、習うべきこと。
どこでもそうだけど、ここの「道の舗装の仕方」がうまくできたところは、結果としてその後の人の出足が順調なんじゃないだろうか?