大切、きれい、丁寧に
自分にとって大事なモノ、大切なモノ。
それは丁寧に扱う。
いつまでもきれいに、いつまでも同じように使える形であってほしい。
でも、モノはいずれ朽ち果てる。それは10日の場合もあれば、数年かかるモノもある。何にせよ、形あるモノはいずれ汚れ、朽ちていくのは宿命だ。
大切にする、けれど、汚れてしまう。
汚れを丁寧に拭い取り、劣化しないように取り扱う。
が、いくら丁寧に扱っても、それでも経年劣化してしまう。
経年劣化、使用上の摩擦、磨耗までもがいやになってくると、触らないのが一番いい。だがその一方で、せっかく手に入れたのだから見たい、使いたい。だから大切に価値を温存しておくためのものと、使うためのものと。マニアは二つ買うこともある。
大切なモノ。でも、使うからこそ価値あるモノ。
持っているだけで意味のあるモノももちろんあるだろうけれど、使わなければ意味のないモノもある。いやそれは、同じモノであっても所有者によってさまざま。
たとえば、大金持ちで車を何代も所有している人であれば、ビンテージカーは「見るだけのモノ」として楽しむと言う人もいる。
車を複数台持てない人は、持つモノと使うものは同じにならざるを得ない。
例え大金持ちであったとしても、使うことにこそ価値を見出す場合には、ちゃんと乗りこなしてこそ、と言う人ももちろんいる。
大切にするというものこそ、人それぞれ。同じ価値観で「大切」を扱うと、マニアからは大目玉をくらうことがある。
そして、そういうマニアックな世界、狭くて深い世界があちこちに広がりつつあるのは、それは僕らが平和で、安全な世界にいるあかしでもある。安心してそれに打ち込める。それを満喫できる。
そしてこうした環境が、さまざまな、小さな努力によって成り立っていることを意識できるかどうか。