そのとらえ方

リスクとは、そのすべてが想定外の事ではない。(a)

想定していたリスクも当然あるはずだ。

 

だが、それに対して、正しく対処していなかった、それが発生することによって、「想定を超える、およそ許容できない不利益をもたらした」際に、初めて話題に上るのが被害や打撃だ。

とするなら「想定外」であるのは、リスクそのものではなく、リスクによってこうむる影響の範囲や度合のはず。

 

それとは違う観点で、そもそも想像していなかったリスクもある。それは「想定外のリスク」だ。(b)


それはそもそも想像出来なかったことであり、そんなことが起きる前提での準備などは何もできない。だからこそあちこちで、時間的、金銭的、物理的マージンを取った上で対処して行こうといった、間接的「対策」しか取れないわけだが、そもそも想像できない事へのマージンであるために削られることもしばしば。

 

a)において被害が出た場合、それは、被害想定の読みが甘い、対策が悪いなど、分かっていた組織、対策を取るべき部署や人において、きちんと責任を持って対処されるひつようがある。が、それさえもなされていない場合がある。

 

b)においては、そもそも想定できていなかったわけで、誰を責めるものでもない。ただしいったんそれが起きた後には、それをきちんと「想定内」に置くことで、万一の被害対処に対する対策、そもそも起きないようにする対策を取る必要がある。であるが当然それらは、一度起きた後、認識できたあとでしかなしえない。

 

最もまずいのは、この上記を混ぜこぜにして議論する事。ああでもない、いや、こいつが責任を取らなくてはなどと議論があっちへ飛びこっちで迷走し…。結果、建設的でない時間と空間が無駄に過ぎ去ったりもする。

 

起きてしまったことはある意味仕方がないのだ。後ろ向きの責任を取るのももちろんだが、前向きにどのように対処するか、それによって何かやめなければならないモノが出ることも含めて、きちんと押し進められるのが大人ってもんでしょ。

…として会社のみならず、日本のあらゆる組織を見回してみるとだな…。

リスクに対する正しい共通認識、そしてそれらに対する適切なアプローチ。これらはどの段階で学ぶべきか。かなりまずいんじゃないかな。知らなすぎることが、社会に不利益をもたらしているんじゃないだろうか。難しくないんだけど、知らないことでもたらされる不利益。これだけではないけれど。