じわじわとリスクにさらされている

さまざまな分野においても、日本の技術をもってすれば、まずもって安全である。
…と、内心思っていらっしゃる人々は、まだまだ数が多いはず。

もちろん、開発、運営の現場はそれに向けて、不断の努力を惜しまない。単なる事故やトラブルのみならず、人命にかかわるような事、システム全体としてトラブルに陥る事などは決して内容に、二重、三重に対策案を考え、日々努力している。

 

が。

そうした「万が一」のシステムと言うのは、起こってほしくない万が一の際への備えであって、そうしたことが起きないようにというバックアップでしかない。

 

年に一度の「防災訓練」において、多くの組織で訓練において実が入っていないメンバーの「やらされ感」満載の状況と同じように、そうした作業やコストは、視点によっては「単なるコスト」として、ムダ金に映ることもある。

 

リスクは、リスクと認識し、それに対して予防策を打ち続けたり、意識し続けたりするからこそ、それが起きるとなった時にも深刻な被害をもたらさないように対処できるもの。対策打ったよ…で、ほったらかしておいたり、安全ですからと心からその意識が薄れてしまう事こそが実は、本当におきた時に適切に対処できなかったりするという、やばい状況を生み出すもの。

  

小中学校のころに、今日は避難訓練だと言われて、ぞろぞろと教室から無駄話をしながら歩いて出ているその習慣が、会社に入って避難訓練を受ける際にも(悪い慣習として)引き継がれていたりするのは、実にヤバイ。

さらに、原発避難計画は、そもそも実働されることはない…としておろそかにしていたりすることなど、実はもってのほかなのだが、多くの現場で「コスト」を理由に削減される筆頭項目になっていたり。

その事自体が、皆をリスクにさらしていると言う状況。

 

そう、形の上で対処しましたよ、と鵜呑みにしている事こそが、

じわじわとリスクにさらされている、という現状なんですよね、って、認識できているのかどうなのか。

 

起こってから対処する事こそ、お金も時間もかかるのに。

だれも、起きることを想定せずに、起きたら大慌て、大騒ぎばっかりでさ。