ゼロリスク信仰

物事、リスクが無い、ゼロで進めることができればそれに越したことはないのだが、どう考えてもゼロリスクで進めるとデメリットの方が大きいことが多々ある。それを見ずに、なんでもかんでも「ゼロリスク」だけを目指して、全てのリスクがなくならなければやらないよ、と言うスタンスだけでは、結果的にどうしようもなくなるのではないだろうか?

 

原発にせよ、築地の移転問題にせよ、ゼロリスクは正直なところ無理な話だ。やった場合のメリットデメリット、やらなかった場合のメリットデメリットをバランスを取って判断する以外に、方法がないだろう。

だから何か言うと「リスクが…」と一見反論する輩はいるけれど、ならその人に「どこまでならリスクが取れて(もしくは全くリスクを取らないかもしれない)、それによるやった事による不利益と同時に、やらなかった事による不利益をどう考えるのか」を表明してもらわなければ、リスクだけを語るのであれば、屁理屈をこねているに等しくないだろうか?

 

そろそろ、中学や高校あたりで、「リスク」に対する理解と、正しいアプローチの仕方を学ぶ機会を設けたほうが良い気がするのだけれど。

 

日本の教育において、お金にまつわる話をはじめとして、社会に出る前に、きちんと学ぶ機会がないものって、いくつかある気がするんですけどね。リスクもその一つなんじゃないのかな。