やめると再開できないこと

「個人でやっていること」をやめると、ノウハウを忘れるというのもあるけれど、思い出しさえすれば再開できないこともない。

だが、「複数人が関わるようなチームでやっていたこと」をいったんやめてしまうと、そもそも再開する事自体が相当に難しく、たぶんそれは二度と同じ状況にはならない。

ノウハウの継承、役割の分担、技術の継承…等々は、資料を残そうと思ったところで、なかなか勘所が情報になっていないところが多かったり、そもそもノウハウ自体を残す慣習が無かったり。

 

昨今、さまざまな企業が、事業をたたんだり、自分たちのところでやり続けられなくなったりして売却してしまう事例を見かけることが増えた気がする。売却先で続けばよいけれど、それはそれでトップの意思からして変わり、そうそう以前と同様に進めていくことが難しいのが現実。

 

それほどまでに、継続維持するのはむつかしい。だからこそどうやって維持していくのか?

たとえばお札の印刷技術などは、それを維持するための維持費用が使われている、とも捉えられる。製版作成の技術などを維持するために、そうしたいわばスーパー工員たちを、儲かりはしない仕事かもしれないが近い技術を必要とする別の仕事で働かせ続けることで、技術を温存し、組織を温存する。

だがこれは、昨今の経済状況、効率化を極限まで進め、無駄(に見えるところ。本当に無駄かどうかは疑問だが)を排除して、コストダウンを図ることを余儀なくされる一般企業では非常に難しい。だかこそ、その同分野、同じ仕事、同じ技術の延長線上において成功し続けなければ、技術や工員を維持し続けられない現実がある。

 

組織は変化し続け、技術は変わり続けるわけだけれど。その変化スピードがどんどんと速まっているのに人が、組織がついていけるのか、耐えられるのか。

ひとつが終わったところで、次に乗り換えられる、切り替えられる性質が個人にも組織にも求められている現状。

 

けっこう技術も流行りもリバイバルがあったりして、その時に時間とお金をかけてまた楽しんだりする世界もあるのだが。

何にせよ、単純に放り出す、雲散霧消させてやめてしまう事は、無駄が多いなと言う話。

あの時出たあれは、もう出ないかもしれない。失われた組織、技術、継続できないって、おおきいんですよね。