それは誰が決めること?

あなたの価値、それも対価をいただくような価値は周りが決めること。対価を払う人が、払う人の価値として価格を決めてくれること。それが給料であり、成果に対する報酬。

 

だが、それを行動する、やるかやらないかは、自分で決めること。

いくら高い金を積まれても、やりたくなければやらなくていいし、大きな対価が見込めなくても、自分でやりたければやればいい。

 

ただし、社会人は、日々の報酬をもとにして生活している側面はある。だからその生活を回していくためには、やりたくなくても、めんどくさい内容でもやらなければならないことも出てくるという事実はある。

だが、だからといって「やる/やらない」は自分で決められること。ひもじい思いを我慢してでも、やりたくなければやらなければいい。いくら時間がひっ迫していても、やりたいことはやりたいわけだし、それがどう評価されるかなんて関係ない。

 

「やるかやらないかを対価で決めよう」とするこそ、自分での評価と他者から得るべき評価とをごちゃまぜにしがちに。それこそが混乱の始まりだし、自分でできること、決められることを放棄することにもなりかねない。

 

だからこそ、自分の自由を手にするために、評価されることがやりたいわけだし、評価されるためには、自分が得意で回りが喜ぶこと、周りが価値を認めてくれることを選ばないとね。

決められることを意識して、やることを意識して。