ベーシックインカムという思考実験
ベーシックインカムという考え方が徐々に浸透しつつある。
すでに実験的に実施されている国もあると聞くけれど、本当に効果があるのかどうかはまだまだ実験段階レベルを出ていない、そういう意味ではまだ壮大な思考実験、一部社会実験的色合いが濃い内容。
ただ、資本主義があまりに行きすぎる、要するにノブレスオブリージュといった発想を持たない金の亡者たちだけの世界になってしまうと、これは完全に、持つ者と持たざる者に二極化する可能性が出てくる。
さらに、昨今の技術革新により、人間が汗水たらして働かなくとも、日々の生活必需品は、自動化で賄えるようになるのなら、そうした部分はベーシックインカムで取りまとめ、「働きたい人が働く」とか、「人が働かなければならないところにのみ高級をもって働いてもらう」という世界が来る可能性は当然出てくるだろう。
で、考えるのだ。ベーシックインカムでみな、通常のつつましい生活なら十分に賄える収入を保証される程度が配給されるとするならば、今の日本社会において、インフラサービスは成り立つのか?と。
これはある意味、こういうことをあからさまにするのではないだろうか?
それは、今高級をもらっているところが、正しく高級をもらえるほどの価値を生み出している仕事ではなかったり、またその逆で、今は低賃金で働かされているところが、実はもっと高級を支払わなければ働く人が集まらないのではないか?ということ。
すぐに完ぺきな、SFのような未来が来るわけではない。となると、まだまだ人間がやらねばならない仕事も残しながら、実質的には、徐々にベーシックインカム社会が浸透し始めると考えると、真の高級を支払うべき大変な仕事、しんどい仕事はどれなのか?ということに。
銀行員が大量にリストラされる世界がすく底に見えている。
仕事の価値観が根底から覆される社会も、当然起こりえる未来の一つじゃないだろうか。