「真面目」という価値

やたら「この人は真面目だ」というところに重きを置く人がいるのだが、そういう時には特に思う。さて、「真面目」は価値なのだろうか?

 

いや、「絶対にそうではない!」というつもりはない。だが、それぞれのレベルにおいて、その受け取る側のコモンセンスというか、共通認識というか、ここは最低条件だよね…という部分があるはずで。そのラインの比較的低めの一つが、この「真面目」ということが多いのでは?なのでやたら「真面目だ」ということだけを御旗に掲げて推してくる人を見ると、それは基本要件であって、そこが売りというのは違うでしょ?それだけでは足りなくないですか?とも言いたくなるのだ。

 

もしかすると私があまりに恵まれていて、そもそも世間には「真面目なこと自体」が稀有なことであり、そういう人であることに、実は大きな価値がある、ということなのかもしれない…と勘繰りたくもなる。私としてはそのくらい、「真面目」というのは当たり前の、普通の人であれば普通に保持している力、という認識なのだがいかがだろうか?

 

逆に言えば、あまりに真面目真面目とだけ言われ続けると、それ以外のよい点は何もないのか?と疑いの目を生じざるを得ない。さらに言えば、それ以外のところが目に入っていないんですかあなたは?とも思えてくる。
意地が悪いのだろうか?いや、そのくらい人を表現するのは難しく、さらに表現以前に見極めるということ自体が、大変困難なことであろう事は言うまでもないのだろう。

 

新年度が始まる。新しいクラス、新しい学校、新しい職場、新しい人々とお会いする機会が増える時期。「その人」の価値を、色眼鏡ではなく、でも何かあるはずだという目で見てみたい。