変わる事を嫌ったメーカー
メーカーで勤めたことがある人ならわかるだろう。いわゆる日本の高度成長期の日本は、モノづくりで経済を発展させ、世界を席巻してきた。モノを作る事、良いモノさえできれば、市場は喜んでくれる、売り上げが上がる…と考えた。
ところが、90年代あたりでバブルがはじけたあたりから、日本経済はおかしくなった。
バブルがはじけたのだから、そもそも売り上げや利益が減る。だから新しいことに踏み出せなくなる。新しい商品が出せなくなる。という事で、どちらかといえば「手堅く」商売を進めると考える人が増えてもおかしくない。結果、縮小均衡の方向でビジネスが進み、技術改革やイノベーションが起きにくくなった時代。
そのため手堅く売り上げを上げる方向ですすめるために、後々まで尾を引かない売り切り商売を目指す。一言で言えば「手離れのいい商品」を作る事。そのひとつが「良い品質を追求する」。当たり前だけれど、この価格でこの値段!と喜ばれるような製品を作りだせば、誰もが喜んでくれる。良い製品、良い品質であれば、クレームになることも少なく、手戻りも少なくなる。これを目指して頑張ったわけだ。
その結果が「今」。結果的に、ネットで商品を比較され、たとえ前回はA社のものを使っていても、今回はよりよい、安い製品が出てきたからB社に乗り換える…というユーザーが続出し始める。バブル崩壊後にネットという環境が生まれた変化まで見据えられなかった結果ともいえるけれど、こうした簡便かつ低コストでの他社比較が簡単になった世界が生み出されたことによって、売り切りメーカーはより高品質、より低価格を極限まで追求しなければならなくなった。その結果がブラックな働き方であり、人間業を通り越したような効率化を求められるところにまでなっているのではないだろうか?
ではそれに陥らないように対策が打たれた会社は何をしているのか?一つは「売り切りではない!」という事。一度売ったとしても、それを皮切りにずっとA社ならそこを使い続けることによる大きなメリットを感じさせるような、「つながり続ける」施策を取り始めた会社が続いているのではないだろうか?
分かりやすいのは「ポイントサービス」だ。その会社、系列でしか使えないポイントを貯めこませることにより囲い込む。別のやり方として昔のメーカーは、独自フォーマットで囲い込もうとしていたのは有名なこと。ビデオならベータかVHSかなどからはじまり、記憶に新しいところではHDDVDかBDか、なんてのまで繰り返される。けれど、フォーマットの場合、とくにデジタル時代においては、「パッケージ」型の商品(CDやDVD、BDなど物理フォーマット)はそれで勝敗がきまったりもしたのだが、昨今は論理としてのフォーマットという形で、すべてがバイナリーデータでのやり取りが主となり、パッケージ化のためのハードウェアの開発などよりも先行するソフトウェアが価値を形作る部分が先立ち、それについていけなくなった企業が脱落していったのではないだろうか?
結果としてモノづくり「だけ」のメーカーは、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の下請けや部品提供のような仕事に成り下がり、抑えられなくなってきている現実。
ビジネス環境の変化にマッチできなければ、設ける効率は下がるわけで、そんな中で「さらに効率よく仕事をして」稼がなければならないのだから、悲惨さは募るばかり。
もうすでに、昔で言えば高齢だった方も働かざるを得ない状況で、さらに海外からの人材までいれて、「安い労働力」(←ここ重要「安い」ところがポイント)をたくさん必要としている働き方にしか従事できない状況が広がりつつある現実。退職時期を後ろにずらしてでも、年金問題を解消するために、多くの人に働いて欲しいと言いながら、外国籍の労働者を雇い入れて、低価格化を図ろうとする。いったい国をどうデザインしたいのか?
より高い、価値ある仕事をいかに生み出すか、やっていけるようにするのかを考えないといけないはずなのにさっ。