失敗したくないから

新しいお店が出店されたら、とりあえずはいる人、いますよね。新しいコンビニのスイーツがでたら、とりあえず試してみる人、私の周りにもたくさんいらっしゃいます。

 

新しい店舗なら、一度入ってみて、買ってみたり、食事をしてみたりして、まぁ3000円なり5000円なりをつかうことになるんだけれど、それをもってして、「もう一度行きたいね」なのか「もう二度と行くものか」を判断したり。
コンビニ程度ならば、新しいスイーツといっても200円から500円以内でお試しできるわけで、これでおいしかったらリピート決定!でもまずかったらもう買わない。だけど失敗と言っても数百円ていどだしえ。

 

と、こうして試すのはなぜかといえば、面白い事、おいしい事、楽しい事、刺激のある事、まとめて言えばより価値のある事を求めるから。もちろん「ハズレ」を引き当てることもあってそれはそれで残念なのだけれど、当然ながら「すべてアタリ」になるわけはないと知っている。だからちょっとチャレンジして、アタリを楽しんでいるわけでしょう。

 

逆に言えば、チャレンジしなければ「アタリ」を引くことはない。で、「一つでもハズレの可能性を下げたい」人は、誰かの情報、ほかの人の評価があったうえで「それを活用する」もちろん、それはそれで一つのやり方。
だけど昨今見かける機会が増え始めたのは、そうした最初にトライしてくれる人には、少し安めで提供して、ヒットすることが見えたら、そこから正規の値段/トライしてくれた時よりも少し高めの値段で提供する。昔はこんなことはあまりなかったのだけれど、昨今はクラウドファンディングが広まり始めている様子。

これこそが「仕事」としてのトライのはず。どこか別の会社がやって当たったことを、うちの会社が後追いしても、当然ながらタイムラグが出るし儲けが少ない。でも、最初にやろうとすると、そもそも技術的にできるのか?仕組み的にできるのか?出来上がったうえで当たる保証など何もないのに大丈夫か?と様々なリスクを回避して、やっと価値ある製品、サービスを生み出せる。でもこれは当たり前ながら、相当体力がないとやり切れないこと。

 

だから、縮小均衡で体力を削りながら、やがて「挑戦するべき体力」すら残っていないような状況になってしまって消滅する。時間が経てばたつほどチャレンジができなくなり、ノウハウがたまらなくなり、成功確率が下がり。

変わり続けなければならない。挑戦し続けなければならない。

人生ってつらいね。