タマゴとニワトリ

どちらが先かは議論が分かれるけれど、20世紀末からこっち、ネットが発達し、コミュニケーションがより密に取りやすくなった時代以降において、個々人が物理的に顔を合わせてコミュニケーションをとる機会、取れる機会が減ってきている気がしている。

 

どこにいても仕事ができるから、と言うのはもちろん、いつでも仕事モードになれる。となると、仕事を手放す機会がなくなる。となれば、プライベートな時間がいつでも分断され、とりにくくなる。
逆に言えば、(仕事内容によるけれど)どこでもオフィスにできる環境が整いつつある、通信の高速化、デジタル化によって、仕事をする場所は限られなくなってきた。

 

ついでに言えば、日本においては、上記の環境が整い始めたにもかかわらず、「みんなで同じ場所に集まって仕事をしましょう」的イメージから脱却しきれていないという事が、(当然すべてではないけれど)仕事の効率化を妨げ、昨今の首都圏の異常なまでの通勤地獄、列車遅延に対する対策などの負の状況を作り上げる要因になっているのではないだろうか?

 

なら明日から、みなさん自宅で仕事をしていてもいいですよ…とできる仕事ばかりではないのも知っている。だからこそ、少しずつ、自宅での作業、自宅での仕事をできる環境づくり、仕組みづくり、制度作りに邁進すべきだと考える。ハード面は色々揃い出している。シェアオフィスも増えたし、駅には時間貸しのスペースもある。むしろこれについてこれていない、いや、そんなことすら考えていない人がネックだろう。

たぶんこうした考え方に一番弱い、というか懐疑的意見を言うであろう世代が、50代以上ではないだろうか。彼らはある意味リタイア世代。ネットに翻弄され、キーボードに虐げられてきたけれど、さらにその上の先輩方からの薫陶に酔いしれた世代…。ではあるけれど、ある意味時代はそこで激変した、それに追随できなかった世代。だから彼らの言うことを聞いてはいけない。彼らの保守的な意見に賛同すべきではない。(もちろん、積極的改革に邁進する人もいるよ。)

 

とは言え、じゃぁ全員、自宅から仕事をして、誰とも会わず、どこにもいかずに会社に貢献できるのか?というと、そうとも思わない。物事を極端から反対の極端に振ると問題が爆発することはよくある事。遷移期間、バランスが重要だ。やはり月に何度かは会社に行って、みんなと会う時間も必要なはずだ。そう、今、会社一辺倒、会社の中で過ごす時間が仕事時間…だった世界から、会社と自宅で仕事時間をシェアしましょうという、そこにバランスを見出す状況に変遷してきているはず。

そうできるから、そうする、でももちろんいい。でも、「そうすることを目指す」から、できるところからやっていく、でもいいんじゃないかな。

20年前の働き方と今では、まるで仕事内容が違うように、今から20年後はまた全く違った世界になっているはずだ。それを目指して、それを先取りして。だって、働き方を改革したいんでしょ?