無駄
たぶん今年も去年に負けず劣らず、無駄をそげ、効率を上げろという言葉が、そこここで飛び交う一年になるだろう。だが、無駄なのか、無駄ではないのかは「その場で決まる」ものでは「なく」、結果として「後で決まる」ものではないのか?
無駄な時間だと思っていても、そこで学ぶつもりになってさえいれば、得られるものは少なくない。いや、「何を学ぶか」が意識できていなければ、たぶん結果として得るものは「ない」ということ。だから「無駄な時間」になる可能性は高そうだ。
だからその場、その時間において「何を学ぶか」、もしくは「何が学べるか」という意識を持つだけで、そこから学べることには雲泥の差が出てくるのではないだろうか?
こういうと「なんだ、意識の問題なのか」と簡単に考える人がいる。確かに意識の問題の部分は小さくないだろう。だが「きちんと意識できるか」というと、それがそう簡単ではないよね、という事。であるがゆえに、「何を学ぶか」「何が学べるか」を「どうやって」意識する必要があるという事だ。
ただ場合によっては、そうして得られるモノが「あなたが所属する組織における有意義な情報」という価値として得られない事もありえる。「ほかの組織においては有意義な情報」の場合だってある。であるからこそ、「自分の欲しい情報」を知り、「その場で得られる情報」を掛け合わせ、そのマッチングが高いところで、「意識をもって」学ぶことが基本だ。
a) 自分が欲しい情報が得られる場所へ出向き、
b) その場で自分が欲しいことが何なのかを意識し、
c) その情報を、磨きに磨いて自分のものとする。
これができれば、まったく無駄ではなくなるはず。逆に言えば、これらそれぞれがきちんとマッチしていないと、効率が悪かったり、結果的には行為そのものが無駄になることは少なくない。
だから「無駄」は結果であり、行為そのものにどんな価値を与えるかは、その場のみでは決定できないはず。それを「無駄にする」のも「しない」のも、あなたの意識と行動ではないだろうか?