教えることはできても

教師とか講師とか、そうした誰かに何かを教えるような職業の人々は、その「知識」が求められるのは当然として、その立場としての「振る舞い」も、ある意味当たり前のように求められているところがある。

 

昔ほどではないけれど、教職は聖人君子たれ…とまではさすがに現状で思い込んでいる人はいないだろうけれど、それでも、それなりの行動や思考が求められているもの。いっぱしに規律や規範を説いていたとしても、他方でその当人が、喫煙禁止の場所でスパスパとやっているようでは、回りまわってだれもその人の言葉を信頼しなくなるだろう。

これ、「親」稼業も一緒だよね。ここはちょっと手を抜きたい…ってところを、必ず見られてるんだよねぇ。

 

こうした「分かりやすい」行動であればまだよいのだけれど、当人が「意識できていない」事はかなり始末が悪い。周りにはあれだけ言っているにもかかわらず、よく考えてみると「まったく自身で実践できていない」あれやこれや。これ、いったいなんなんでしょうか?ねぇ、〇〇先生。

「私はもう大人だから…」とか言い訳している時点でアウトでしょ…。自分で自分ブランドを毀損していると思いませんか?