好きか嫌いか

小学生中学生のころにおいては、好きなモノが得意なモノである事は少なくないだろう。なぜなら、好きであるがゆえにそれにかける時間が尋常ではないことで、当然のように得意になる。得意になればさらに好きになる…。という好循環で、得意項目ができる人は多い。不純な動機でギターが弾けるようになりたい…から、ミュージシャンになるなどといった内容は、顕著なこの一例ではないだろうか。

 

ただそれも、ひとによっては、やり続けたことであるところで挫折したりする場合もある。何かがきっかけで嫌いになったりもするかもしれない。だがそこまでしっかりやってきた。だから得意(普通の人以上には出来る)だけど好きじゃない…という項目ができたりする。

 

大人になれば、様々な事情を経ているため、好き嫌いの軸と、得意不得意の軸は、完全に一致するとは限らない。とはいえ、わかりやすいのは「好きで得意」ということ。これを生かせると、たとえば「同時通訳者」になっていったりするのだろう。

 

「嫌いだけれど得意」というのは、トレーニングしてきた時期はあるのだけれど、後天的に何らかの要因であきらめたり止めたりしてきたこと。だからたぶん、自分からあらためてそれに近寄ることはほぼない可能性が高そうだ。

 

逆に「好きだけど不得意」もありえるだろう。それはそのスキルすべてができるわけではないけれど、ずっとあこがれ続けていて、今もそれを継続してきている事。ただ、子供のころのように大量の時間を費やせる状況にはないため、歩みは遅いという事。
たとえば、「英語好きだけどTOEICの点数が低い人」などはこれではないだろうか。もちろん、TOEICの点数が高いほうが、社会的にも使い勝手がいいのは確かだが、こういう人は「社会的スキル」としての能力と「趣味としての対象」というのは別に理解しておくほうが、結果的に幸せになれそうだ。

 

最後が「嫌いで不得意」だ。これはもう近寄る必要さえないだろう。たぶん今後、様々な技術で克服されていく未来も出てくることだろう。いやなことはしなくて結構。
ただ、本当に嫌いなのか、嫌いだと思い込んでいるのかは、考えてみたほうが良いかもしれない。仕事的には嫌いだけれど趣味にはしたかったり。逆もあって、ただ単に「食わず嫌い」なだけで、ちょっとやってみるといきなり「面白く」「好き」になる人はたくさんいるのだから。