エンジン

すでに「35歳転職限界説」はあまり信じられなくなっている昨今。すでに私の周りでも、40歳以上、50歳以上でも、転職が(給与、ポジション的に)成功している人を何人も知っている。

 

あくまで私の周りでの話だが、感覚として「学歴」がまだ効果を表すのが40歳あたりまでが限界で。これを超えると、そもそもの当人のそこまでに培った「実力」いや、「仕事をする力」というのが、評価される対象になるような気がしている。

 

そういう、成功している人々に多く見られるのが、仕事のエンジン、物事を進める際の動機が何か?のような気がしている。

 

かれらはなぜ「そんなに仕事ができる」のか?なにを動機として仕事を進められるのだろうか?

もちろん、仕事ができて認められ、給料が上がることもある。ポジションが上がることもある。だが昨今の経済状況からして、給料が目に見えて上がるとか、ポジションがメキメキ上がる状況はむつかしくはないだろうか?それなのに彼らはどんどんと仕事を切り開いていく。何がかれらのエンジンなのか?

 

いきなり話が変わるが、世間には「山男」なるものがいる。山に登るのが好きな人だ。彼らの動機を言い表した有名な言葉がある。「そこに山があるから」。そう、だから彼らはそこを「登り、登頂する」。

この言葉のポイントは、「頂上に至ればよい」のではなく、『「自ら登ること」という「行為の上」で「登頂」という成功に至ること』が語られている。これこそが山男の成し遂げたいこと。だからヘリコプターで頂上に下ろされても彼らには意味はない。

 

仕事がバリバリできる人も、これに近いのではないだろうか?彼らは「仕事で成功しさえすればいい」のではなく、「困難を乗り越え、克服して、その仕事を成功したい」のではないだろうか?だからこそ、困難にも立ち向かい、それを乗り越えて仕事を成功させる。「成功させるに至る行為」こそがかれらの成し遂げたいこと。

もちろん、仕事が成し遂げられることで、給料があがったり、ポジションも上がるのだろうが、それは人によっては二の次。成し遂げること自体に喜びを感じる。

 

こうしたことに喜びが感じられるためには、小さいころから「そうした事こそに楽しさ、喜びを感じること」という体験、教育があればこそだろう。これなしにはあり得ない。

だが大人は、子供の活動や成果を、「大人の目線」で「成果物」としてとらえがち。しかし、その出来上がった何かの「結果だけ」より、「よく頑張ってここまでやったこと」や「最後まで成し遂げたこと」や「がまんして結果を生み出した行為」そのものを誉めなければならないんじゃ無いだろうか。

とは言っても、大人は、仕事の現場がそうであるように、「結果」「成果」を評価しようとする。もちろん、子供の生み出したそれも大切ではないとは言わないが、いかに「行為」が素晴らしかったかをしっかりとほめようではないか。それこそが、「頑張れる力」を醸成し、「頑張って克服すること」に喜びを感じるようになるはず。よりおおきな「頑張る力」は、何にもまして、これからの大きな力に。

 

結果だけを求めるからこそ、ズルをしてでも…と考えたくなって。でもそうじゃ無いでしょ?なぜあなたは、いま、オリンピックの結果を見て感動しているんですか?