目の前の事に

人は、目の前の事をやりきろう、自分事を最適化しよう、としがちだ。

「これをやっておいてね」と頼まれた「それの事だけ」に目を向けて、そのほかの事は一切目に入らない。ある意味効率的に作業しようとすると、そうした外乱を避け、「それ」にのみ集中して、それをいかに早く仕上げるかにかかっていると言っても過言ではない。

しかし、ときに全体を俯瞰してみると、「そこ」にそれだけ力をかけても、そのほかのところで台無しにしている作業があったりする。そのほかのところで思いのほか時間を使っていたりもする。だが当然ながら、それは「その部分」の担当者には伝わらないし、感じ取ることはむつかしい。それを見つけたり是正したりするのは、全体を知っている者にしか成し遂げにくい。

ココで出る言葉は、僕は聞いていない、それは僕の仕事じゃ無い…。

 

でも、「そもそも、今回のこの作業は、何のためだっけ?」という、いわば「全体俯瞰」した意見が全員に浸透していると、すべてではないにせよ、どのポジションにおいても、そうした視点を持つことが可能になる。だがこれは「作業だけ」を指示されている現場ではそもそも無理だし、「何のため」といった今回の大目的が通達、徹底されていない現場ではむつかしい。
さらに昨今の事情を鑑みるとするなら、そうした個々にとっては「外乱」を入れることで、余計なことを考える時間が増えたり、手が止まることで、効率が下がる…と考える向きもなくはない。

 

しかし、本来の日本の「現場」においては、多くの場所において、そうした改善が出てきたからこそ成り立っていた日本の工夫や、それに伴う品質向上があったはず。それを生み出すはずの「余裕」をすべて取り去って、「作る時間」にのみフォーカスしているであろう現在は、事実上、どんどんと悪いスパイラルにはまっている生産現場というイメージをぬぐい切れない。

でも、すでにバブル崩壊以降、失われた二十年といった時間の中で、そうした進め方しか経験していないマネジメント層が増えつつある。彼らとしては、今のやり方による成功体験も希薄だけれど、かといって別なやり方による成功が保証されていないために、あらたなやり方に踏み出せずにいる。

誰かがそうした変化を受け入れたり、(その現場としては)未知のやり方に挑戦していかなければ、たぶん変わりようがない。目の前の事だけではなく、全体として俯瞰する視点が増えていかなければ、たぶんこれから勝ち抜けない。

 

とは言え、そんなチャレンジをさせられるほど肥沃な土壌は狭まりつつある。

かなり厳しい戦いになりそうだ。