けじめ(ダメだとわかるまで)

自分が本当は何に向いているのか、なかなか探せない人もいる。

自分に向いていることは何なのか、自分が何をしたいのか、「自分探し」をする人たちは少なくない。

 

でもそれだけのために時間を使った多くの人たちが、何らかの正解にたどり着けているかというと、かなり怪しい。結果的に時間が経って、あきらめていった人も少なからずいるはずだ。

 

人生も、仕事も、一生懸命に取り組め!という人がいる。これは結果的には「いつ終わるべきか」を知るために、一生懸命取り組む必要があるのではないだろうか?

ある仕事、ある作業を、自分が一生懸命やったとしても、なかなか成果が上がらなければ、「あぁ、これは向いていないのだな」とハッキリとわかるだろう。

でももし、それに一生懸命取り組んでいなかったら?


それがうまくいっていない「理由」は、自分に向いていないからだろうか?それとも自分の努力が足りないからだろうか?逆に努力すればうまくいくのだろうか?
私を含め、結構多くのものが、ここで努力することに躊躇する。努力してうまくいくことが希望として見えるのならやらなくもないが、暗中模索で努力してもうまくいかないと、それ、完全な無駄じゃないだろうか?と疑問に思うのだ。
だが上述したように、そこで中途半端にダラダラ続けるほうがもっと無駄な可能性も高い。だから、原因を明確にするため、向いているものに全力投球するために、「一生懸命やらなければならない」。

 

その努力が報われず成果が出なければ、向いていないとすぐにわかる。努力が実り始めれば、やはりやる意義があったとみなせる。続けるのか止めるのか、判断しやすくなる。でなければ、中途半端な気持ちで、中途半端な成果で、それがずっと続くのみ。

 

これをシステムとして作り上げたイベントがある。当初の「M1グランプリ」。漫才の頂点を決めるイベントだ。今は改正されたらしいが、当初このイベントは、「コンビ結成10年以内」といった出場規定があった。そう、「10年やっても目が出ていなかったら、それはその漫才に向いていないという事。だからあきらめることも必要だと教えたい」という理念が込められていたルールだ。

 

もちろん、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいるのだから、それでもそれを選びたい、あなたの選ぶ道ならば、それもまたその人の人生なのだけれど。