使う(だけの)権利

この5年ほどだろうか、この「権利」という考え方が、好むと好まざるとにかかわらず、広く浸透し始めた気がする。世間的呼び方としては「サブスクリプション」だ。「利用することに対しての対価を支払う」というやり取りのことを指してこう言っている。

 

「音楽を、一か月間聴き放題」とか「映画を見放題」とか「漫画や本を読み放題」とかとか。これらはネットの時代以前からもケーブルテレビや有線放送という形であったわけだけれど、昨今出てきたのは「漫画、本、読み放題」といった形のネットサービス。聞くところによると、洋服においてもそのようなサービスがあると聞く。

 

冷静に考えると、ある期間だけ使う権利として考えれば、借家がまさにそうだ。ある期間を過ぎてお金を払わなければ、その「住処」を使う権利は失って、どこかに引っ越さなければならなくなる。私は体験がないけれどもっとこれに近いのは、昔の「貸本屋」だろう。漫画や雑誌を一回何十円かで借りて読む。読んだら返す。レンタルビデオレンタルCDも…。こう見てみると、その適応範囲がデジタル化されたコンテンツ時代において、拡大していることが、昨今のサブスクリプションとしての広がりなのだろう。

 

だが、これほどまでにサブスクリプションが普及する以前としては、漫画や本は基本的に購入して手元にある限り、一度お金を払っていれば、いつでも読める、見られる状態になっていた。これが本や漫画に対する「認識の持ち方」だ。音楽だってそうだ。レコードやCDを一度購入すれば、いつでも聞き返せる。購入という事で、永久視聴権を手に入れた感覚。
しかし、サブスクリプションという契約においては、その契約期間であれば、なんでも自由に、取り扱っているコンテンツを見聞きできるものの、契約が切れるといきなり「すべて」見られなく、聞けなくなる。だからサブスクリプション契約「だけ」になる事で、永久視聴権という販売方法が保証されなくなってしまっているという事。(もちろん、サブスクリプションを提供してくれている企業が未来永劫運営し続けるのであれば、結果的には同じになるのだが…。

 

いや、これまでに比べれば、聞きたいもの、見たいものが、指先一つで探し出せるというこれほどまでに便利な環境は、ある意味魔法と同じだろう。だが、それによって、もちしかすると、今までと同じだったなにかはできなくなってしまう可能性をはらむ。それはある意味、そのプロバイダーを信頼してね、応援し続けてね…と言う裏メッセージジとも。

 

他方、これはサブスクリプションとは違うけれど、これまでに録音してきたDATやオープンリール、8㎜フィルムやβ、VHSのテープは、いま、再生することすらできなくて廃棄されようとしているものがあちこちの家で散見されていないだろうか?こうして「いつかは使えなくなるかもしれない」ことと、「いつでも使えるけれど、そのためには、ずっと小銭を払い続けてね」ということと。
認識を新たに、「対応していく」しかないのだろうか。