自分のそれ

さて、国民の休日として、結構な大型連休だった人もいらっしゃっただろう。今日あたりから業務が再開されること自体に、ため息を漏らしている方がいらっしゃるような気もする。

 

私も含めてこういう人がいるのではないだろうか。
連休スタート直後には、さーて、今回は大きな連休だぞ。何するかなぁ。あれもしたいこれもしたい…。と希望を胸に秘めたうえで、とはいえまずは手近なところから…などと大きなやりたい事はとりあえず。気楽なことから手を付ける。


当たり前だけれど、やりたいことがすべてできるわけじゃない。だから、ここでも、効率よく自分のやりたい事を、順序立てて実践していく人がいる。が、みんながみんな、そんなにうまくは物事を回せない。やりたい事から手を付けて、後に回された作業/タスクが後々になってその時が来た際には、いろんな予期しないことが起きてくる。天気が思わしくないとか、渋滞がひどくて予定通りにはいかなそうだとか、列車事故で予定時間に到着しない等々、自分が理由で、他者が理由で、そもそもうまくいかなくなることがあり得る。結局、いくつかを積み残し、やり残して期間は過ぎていく。

 

いや、何でもかんでも、うまく回すこと、たくさんやりきることだけが「しあわせ」だとは思っていない。楽しい時が過ごせたら、幸せな時間が持てていたなら、それはそれで一つの結果であって、それで満足いくなら良いのではないか?と思うのだ。
逆に、やりたいことが5つあって、そのうちの3つしかできなかったから不満…と考える人もいれば、そのうち3つできたことによって、半分以上を実現して満足だ…と考える人もいる。特に日本においては「満点主義」の思考の方が多いように感じるのだが、満足できるところまでできていたのなら良いのではないだろうか?

なんでも「人並み以上」「平均以上」を求めようとする人がいたりするけれど、その考え方自体が、「皆と同じ」であることという「同調性をもって満足」と考えていないだろうか?本当にそうなら、それでいい。でもホント?本当に「みんなと同じ」がいいの?一度考えてみない?何が「自分の満足なのか」を?「自分がどうなりたいのか」を。