変えることができるのは

周りに不満がない人はいないだろう。

どうしてこうしてくれないのか、どうしてこうならないのか…。日々悶々と過ごしている、ストレスが溜まっている人も多いだろう。
なかにはそれをお酒で紛らわせる人もいるだろうし、場合によっては自分より立場の低い誰かに当たり散らす人もいる。(…と言うところからも推察ができる通り、年長者、年配者は、自分よりも若者=立場が低い…と思われる人にあたる、説教する人が増えるわけだよね…。)

 

だが、いくら周りにあたってみたところで、自分の力が及ぶ範囲は知れている。自分が思ったように変わるとは限らない。

では、「変えられる」のは何か?

 

その一つは自分だ。自分が思ったとおりに変えられる。自分の支配権は自分が握っている。…にもかかわらず、その自分すら思ったとおりに変えられない事はないだろうか?簡単なところでダイエットだろう。これにかぎらず、三日坊主で終わってしまったことはだれしもが経験している事。
結果、一番変えやすい自分であったとしても変えられない、というのが現実。であるがゆえに、イライラ、悶々。

 

もう一つ、変えられることはある…。というか、これしか変えられないものがある。それは未来だ。

過去はどう変えようとしたところで変わらない。変えられるのは未来だけだ。時に「何でそんなことをしたぁ!」と過去をネチネチ突き詰める人がいるが… (ry

 

話は変わるが、どこと言った行き先を決めずに旅行する人、ドライブをする人はあまりいない(ゼロではないだろうけれど)。どこどこに行こうと決めてそこに到達、到着する。行きたい未来をイメージして、決めて、そこに行くための列車や飛行機、道路を確認して旅に出る。そう、皆、「計画し」てから旅に出るのだ。

なのに、人生と言う2泊3日の旅行よりも明らかに長い、大きな「旅」において、なぜ計画を立てないのか?どこに向かうということすらイメージできずに、満足度の高いところにたどり着ける確率は、限りなく低いことは容易に想像できるはずなのにとおもうことがある。

 

もちろん、小中学生には無理かもしれない。大人になったところで、これからの人生が、そうそううまく行くとも思えないかもしれない。けれど誰も、「それは途中で変えられません」などとも言っていない。そう、変えてもいいのだ。「北海道を目指していたけれど、あまりに環境がいいので東北で満足」でもいいではないか。これすら、未来を変えるという事の一つ。そのぐらいの目標や目的でもいいんじゃないかなぁ。

 

変えられるものを意識すること。目的/目的地をしっかり持つこと。それがボンヤリとでも明確になれば、おのずと今やるべきこと、やれることは見えてくるのだから。