手段は選ぶもの

先日、ちょっとした鉄道トラブルで、多くの人がチケット売り場に長い行列をつくるというシーンを目にした。災害や天災などが起きたり、首都圏では日々さまざまなトラブルの結果として、こうしたシーンに出会うことは少なくない。

 

結果として、それに対処するためには「その手法」(ex.並ぶ)しかないという事は実際はあり得る。が、けっこう多くの場合、それに対処する「手段」と言うのは、当人が意識できていない他にもさまざまな手法があったりするもの。

たとえば、「チケットを変更してもらう」ために、チケット売り場の行列に並んだりするわけだが、その時点で「そのチケットを変える」ということに縛られている自分がいたりしないだろうか?その時に自分たちが「本当に」したいことは何だろうか?をよく考えてみただろうか。そしてその「本当にしたいこと」に応じた、取るべき手段の中で、リーズナブルな手段を選択できているかどうかを考えてみたい。究極、チケットを完全に捨ててタクシー、というても無くはない。が、実際はコスト面、時間面等々の別々の制約が効いてくるわけだが。

 

当たり前の事だけれど、取れるべき手段がどのくらいあるのか、頭を柔らかくして考えることができる事、これがまずは一番大切だ。そのためには目的を明確にし、意識し、その上でそれに進むための「手段」を柔軟に想像していく事、そしてその手段がどのくらいあるのか情報をしっかり持っておくこと。場合によっては「損して得取れ」的手法さえ重要になる場合もある。

 

そう、だから必要な情報をきちんと収集し、そしてそれらを必要に応じて引っ張り出し、その中から適切なものを選択し、決断すること…をいかに素早くできるのかが重要になるという事。

特に「決断」は、そのタイミングこそが重要で、「今」ならそれもチョイスできるが、「後」になれば選べない場合もでてくる。さらに場合によっては、そのタイミングでは確率にかけることもある。これすらも、タイミングにより、早く判断できれば、成功確率をあげられる場合もある。何にせよ、インパクトと確率からどれを選ぶのかが重要な判断基準。

 

となれば、トラブルや事象に遭遇した際に、さてその時点における目的は何で、確実に確保できることは 、捨ててもいい選択肢は何か、それを捨てない場合の手段の手数は?捨てる決断をした際の手段の手数は…と、実は様々な状況を判断できているかということ。ある意味、将棋の先読みのように、何手か先を読んで、その読んだ先における最適な解を選べるかという事。

 

…と考えると、人間の日々の選択状況による仕事の運営なんて、遠からずAIに置き換わっても、確かにおかしくないよね。その上で人が考えるべきことは、新たな価値を想像することではないのか?それを考え続けること、そこに価値を見出すことではないのか、とね。