気づいていないモノはやめられない

合法非合法含め、中毒というのはかなり厳しい。それがないとイライラする、それを摂取するのをやめられないということを自分の意思で規制できなくなる。

 

最近はタバコが禁止されているエリアが増えた。昔は新幹線16両編成のうち2両程度だったのに、今では基本禁煙、もしくは全車両禁煙(喫煙スペースあり)というものまである。レストランでも禁煙のみ、もしくは時間帯により全席禁煙という店もある。

 

ポテトチップスがないと、唐揚げがないと、さすがにこれが四六時中なければというほどの中毒は見たことがないけれど、しかし食事制限を受けるような重度な人もいる話を聞くことを考えると、やっぱりやめられない人もいるのだろう。

 

一番最悪なのは、なにがなければやっていられないのかということすら認識できなくなった時かもしれない。そして、その中毒状態が「普通だ」と思っている事こそが最悪な状態。それがそうだよと教えられたとしても、それを断ち切ることで禁断症状が出たり、苦しい状態に陥ることが待ち受けていることが受け入れられない。

 

 

 

経済はいま、中毒状況だったりしないんだろうか?

いったんドーピングを受けてしまったら、それでハイになっている状況こそが「あるべき」状況だと勘違いしてしまったら。

 

でも、全員が中毒だったら?いったい誰がまともなのかを判定する人すらいない状況だったら?経済において景気浮揚中毒だったら?もう薬を注入し続けないと生きていけないとしたら?

所詮右肩上がりなんて経済は、ある意味、遠い遠い先に限界がある、事実上無限に増大し続けられるなにかの状況があるからこそ右肩上がりでいられるはずで。

ところが地球と言う物理的領域は有限。生産できる食料も有限。人口もまだ増えているけれど食っていける人々というのはたぶん限界があって有限。

 

そしていずれ、そうした経済的ドーピングすら打つことができなくなったら?

結局いつあきらめるか、いつ受け入れるか?だけの選択を先延ばしにしていないだろうか?誰がブレーキを踏むのか?全地球規模でチキンレースを行っていたりして。