あの時

それは私がビルの25Fにいた時だった。

デスクで仕事をしていたけれど、突然大きな揺れが襲った。長かった気がする。

どこで何が起きているのかわからず、ネットで検索したり、Twitterで友人の安否を確認したり。友人関連においては大きな被害がないことが確認できたけれど、その後のあんな被害につながるとは、その瞬間には想像していなかった。

 

私のデスクからほんの5mほどのところが、打ち合わせスペースだった。そこでミーティングをしていた人たちは驚いていたようだけれど、揺れが収まったのをもって、再び打ち合わせを再開していた。

正直なところ、何やってんのこの人たち?大丈夫?おかしいと思わないの?と、私の心の中ではハテナマークが山のように湧き上がった。

 

1時間もせずに、東北での大津波の状況が、職場のテレビに映し出された。何人かはそこに立ち寄り、呆然と津波の状況を眺めている。

「うわぁ、映画みたいだ」

こんな声が聞こえていたけれど、すぐに仕事以外のアクションを考えていた人は少なかった。

 

会社からのアクションは遅かった。事が起きて3時間近く経ったところでアナウンスが出たように思う。まぁ大きな会社だからパニックにならないように…なんて考えてのことかもしれないけれど、それでもそのアクション、連絡の遅さには落胆した。

 

一部の人たちは歩いて帰ると言い出した。距離にして20Km30Km離れている人も少なくないし、そもそも地図など用意していないはずなのに、それでも歩いて帰ると言いだし、覚悟して職場から離れていった。もう日が暮れかけている17時近かったと思う。後で聞いたところ、自宅に帰りついたのは、近い人で23時や深夜2時。遅い人では次の日の朝5時と、半日歩き続けての帰宅だったそうだ。

 

私はと言うと、早々に家族、友人知人に連絡を付けて、じっとすることを決め込んだ。まだ原発の事故なんてのは想像だにしていなかった。

 

 

そこから半年ほどは、街は薄暗く、何か派手なイベントは自粛ムードさえ漂っていた。が、のど元過ぎれば熱さ忘れる。すでに原発再開の話もチラチラと見え隠れする。

 

じゃあ明日からいっさい原発は全部停止だ。今後なにがあっても原子力発電には依存しない。これはこれで経済的観点から、国に与えるインパクトは相当に大きいだろう。だが原発はやっぱり全部再開、という考え方は、それはそれで被害を受けた人の心のことを何も考えていないに等しい。

 

やれ再開だ、やれ反対だとそうした「意見」ばかりが取り上げられて、白黒はっきりつける事のみが争点に上がる。

 

でも、本当にやるべきなのは、国民レベルでのしっかりした議論であり、その結果生じる未来に向けての責任を、大臣とか知事のみならず、みんなが自分事として受け入れた上で次の世代に引き継がざるしかない。そういう「議論の場」をしっかり作ろう、「議論できる時間」「議論できる手法を確立する」といったことには、あまり時間が割かれていないような気さえする。

でも、本来の民主主義ってやつは、そこにこそ時間がかかり、エネルギーがかかり、労を惜しんではいけないところなのではないか?

 

昨今の物事を進める方法といったら、何でも効率化効率化で、そもそもそうした考える事、意見を戦わせることに対する価値をないがしろにしていやしないか。いや、そんなことすらメンドクサイ、うまくやってくれよと放棄していたりしないか?

 

それがみんなが求めていた世界なの?