平たく言えば

調子のよくない企業がある。いわゆる世間的に見れば、優秀な人たちが集まっている、とみられている会社だ。事業がうまく回っていない。もがいている様子がありありと見える。

とりあえず成果の出ていない事業にテコ入れをしてみるけれど、なかなか成果が出ない。何年か我慢するも、耐え切れずに切り売りせざるを得なくなる。施設を売る。人も切る。

 

じゃぁそうして切られた人は?いわゆるリストラされた人、と言うくくりになるのだけれど。そんな人全員のその後を追ったわけではないけれど、どうされているのかと言うと、そうそう悲惨な状況ばかりとはかぎらない。

そもそも優秀な会社に勤めていた人たち。いわゆる地頭は優れた人たちが少なくない。年齢的なことも左右はするだろうけれど、再就職されている人は多い。それもいわゆる大手のみに限らず、自ら選んで小さい会社だけれど面白い事ができそうな会社を選択する方もいる。もちろん、起業する方もいる。

 

こういうことを聞くたびに思う。要するに、人を切ってきた前の会社では、うまくその人を「使えなかった」だけなんじゃないかと。

 

適材適所と言う言葉がある。言葉としては簡単だ。適した場所に適した人材を配して仕事を回す。しかしこの20年ほど、ネットが発達してきたことにより、事業形態、事業の考え方が大幅に変化している。が、大きな会社が事業収益を上げているのは、そういう大幅に変化している部分とは限らない。が、今後を考えると、その大幅に変化しているそここそが、ビジネスとして面白そうな匂いがする。が、そこに突っ込むことができない。危険だから、リスクがたっぷりとあるから、そしてなによりも、すぐに大きな収益が上がる見込みが立たないから大企業にはおいしくないから。

 

平たく言えば、業態を広げていったり、拡大していく発想が、その当時のマネジメント層でうまく広げられなかったからこそ、そうした事態には対応できなかったってこともあるだろう。必然的に事業収益形態は影響を受ける。適材をあてがう適所がなかった、作れなかったってこと。

 

いや、会社の寿命なんてのも時に語られるけれど、結局こうした時流に乗って、「変わり続けられるか否か」ってのが、その寿命を決める大きな要因だったりするし。