泣けてくるシチュエーション

とある場面。相手がとても丁寧に対応してくれる。

こちらは?というと、とてもそれに対応できる状況ではないくらい、そもそもの準備ができていなかったり。本来なら相手が言ってくれていることを十分に受け止め、それに応じた対応ができてこその「今」が設定されていたはずなのに、それに十分にこたえられない。

 

この時に二つの対応態度がある。

1)いやいや、そもそもオイラは忙しかったんだし、しょうがないじゃん。忙しいのは私のせいじゃないんだし。

2)申し訳ない、あぁこのために時間を割いてくれているのに、それに十分こたえきれていない。自分はもちろんだけど、相手に悪い事をしているんじゃないだろうか?

 

どちらもある。1)はある意味他人事。そもそも自分はちゃんとやっていて、そこに収まり切らないくらいの仕事や物事が織り込まれているんだから、そもそも全部やり切れるわけもなく。で、そのやり切れなかったのがこれだったんだよ。運が悪かったね。(でも、俺の責任でこうなったんじゃないんだ)。

2)はもしかすると実態は1)と同じ状況かもしれない。でも何とかできたかもしれないという思いがある。工夫するつもり、努力するつもりがある。ただし今回はできなかったのかもしれないのだけれど。

 

最近よく見るのはこの1)の態度。いわゆる開き直りに近い。世間があまりに効率化方向にシフトし、それをシステムや組織でこなす事以上に、個人の責務においてそれをさせようとして、それゆえに個人の能力を超えたり、個人で本来できない部分を押し付けられたりしてどうしようもならなくなる。…であるからこそ、個人で断る技術とか、メンタルを扱うテクニックみたいなものがもてはやされたりもする。

その一つの防御策として、そもそも自責ではないということで、精神的に自らを守る言動に走ることになる。

 

本来は、そういう人たちを助けたり、互いに支えあったりしてやってきた。また互いに高めあったりして発展してきた。でもいったんこうした考え方が蔓延すると、それは麻薬のように広がりかねない。だって楽なんだもの、その考え方。自分に責任がないという風に捉えられるとわかった瞬間、甘美な世界が広がる。ただし、それは自分だけがそう考えれば、という場合のみであり、自分の周りみんなが、世界のみんなが…と考えた瞬間に、囚人のジレンマよろしく全員が損をする。と同時に、今は囚人のジレンマよろしく、先にそっち側に入った方が儲けが大きい。

 

こいつをひっくり返せるような強い力は、そうそうないところが、また泣けてくる。