遅行性

赤ん坊向けのおもちゃは、触ったことによって音が出たり、光を発したり、刺激に対する反応がすぐに出る、分かりやすいものが好まれたりする。当たり前だと言えば当たり前だが、すべてはまずここから始まる。

 

だいたい6歳程度、就学前までは、刺激に対する反応がすぐに出る事が好まれる。まぁ多少遅れたとしても数分もかかっちゃいけない。

 

それが小学生くらいからはだんだんとその反応までの時間が長くなるものが増えてくる。分かりやすいところで言えば、植物の観察なんてのがそうだろう。今日植えて明日花が咲くわけはない。何日も、何カ月もたって、その反応があらわれる。

学習においてもそうそう簡単なものばかりではなくなる。ちょっと要領のいい子なら、小学校の低学年では学習する必要はなく、たぶん授業に出てきたものごとを、そのまま覚えこめばいい。理解に時間がかからないもの、簡便な知識が多い。

だが、高学年に移行するに従い、だんだんとその場だけでの理解では追いつけないものが増えてくる。その後の学習時間、定着時間が必要になる。できれば簡単な小学校低学年で、遅くともここで、宿題や、自習する癖をつけておけば何とかなるのだが、ここで振り落とされることも少なくない。

それでもまだ一夜漬けなどが軽くこなせる程度。これで乗り切ることができる子は多いんじゃないだろうか?ただしそのあとが苦しくなりそうだが。

 

中学になると、ますます理解や定着に時間がかかる内容が出てくる。繰り返しインプットし続けて初めて定着する情報や技術が増えてくる。高校などでもそうだろう。

典型的なものの一つが語学じゃないだろうか?今日やって明日成果…はでない。なかなか伸びない。だが毎日コツコツ続けていると、ある日スコーンと伸び始めたりする。人によっては3カ月、別の人では半年と時間に違いがありそうだけれど、確実に成果が出るまでに時間がかかる。

 

 

「学校」という枠組みの中では、伸びる方向での差だった。会社に入っても同じで、コツコツと何らかの学習を続けているものは、ある日ドーンと伸びたりする。そのライバルの伸びを目の当たりにした時には、すでにかなりの差がついているという寸法だ。

 

だが会社においては逆もある。良い方向性ばかりではなく、悪い事も結果が見えにくい。今やっていないことでも、過去からの慣性で、それなりにうまく成果が出ていたり、なんとかこなせていたりする。実際はあちこちにガタが出ていることがほとんどなのだけれど、「仕組み」がある意味「うまく」カバーしてしまって、そのやっていないこと、悪い慣習を見えなくさせてしまう。

そしてある時、ドカンとその付けが回ってくる。何をしても成果が出ない、うまくビジネスが回らなくなる。

 

しかし多くの組織がそうであるように、徐々に責任者やマネジメントがグルグルと配置が換わっていたりすると、“その悪いビジネスの根本的原因がどこに起因していたのか、誰が何をしたのか、何をしていなかった事に起因するのか”を、うまく探し当てることができない場合が少なくない。気づいた時には多額の退職金を手に、安全地帯に逃げ込んでいる者がいたりする。

 

遅行性の罠に気を付けなければならない。

今に対処すると同時に、この原因の根本はどこにあったのか。

責任者自身は、多分わかっているはずだ。自分から名乗るかどうかはともかく。