未来のために

定期試験で重要な行為の一つには、その採点されたものを手にしたのちに、弱点を徹底的に復習することだ、というのがあげられる。(まぁ、そこまでわかっていて十分できていなかった私がここにいるわけなんだが。)

 

子供のころはこんな屁理屈もいってみる。

「いまさらやり直したってテストの点が変わるわけでもなし…」

もちろんその通り。テストの点は変わりはしない。過去の過ちを取り返すことはできない。ただし、未来に同じ過ちをする可能性を減らすことはできる。

 

やっていることはすべて、未来をどうするか、未来をどうしたいか?ということに向けての施策でしかない。過去をどうするかではなく、過去における何かを、これ以上悪い形で広めないようにするためにという施策。

 

 

そのためのアプローチには実は二つある。事象として起こりつつあるその「事象自身」を止める施策。もっともわかりやすく、多くの場合に手が付けやすい。ただし、「事象」は原因と直結していない可能性もある。そうした場合は、目に見える事象を食い止めたとしても、どこかにひずみが残っている可能性はある。

前者が、とりあえずの対処、後者が恒久的対処に近い。

 

今、人々には時間がない。多くの場合、まずはとりあえずの対処を取ることが求められている。そうして被害の拡大が抑えられたうえで、本質的な原因究明、恒久的対処方法を目指すのが筋だ。

だが時に、「それで本当に大丈夫なのか!」と、文句を言う人がいる。そして恒久的対処を検討すべきだろうと声高らかに宣言する。それは正論だ。逆らえない。しかしそれをしている体力は本当にあるか、まずはとりあえずの対処でしのぐのが筋ではないのか、その判断を誤れば、とりあえずの対処すらできないまま、恒久対処に時間がかかり、すべての対処が間に合わなくなることがある。

 

未来のために。