感情

喜怒哀楽。当たり前のように心の中に起こる感情。子供は当たり前のように、喜び、怒り、泣き、楽しむ。

大人になればなるほど、そのような感情(特に怒り、悲しみ)をストレートに出す機会は減り、押し殺すこともしばしば。もちろん、それは相手によることもあるけれど、それもいつしか「そうすること」に慣れてしまう。

 

それが求められている背景もある。そうした感情を押し殺すことで、個々の感情のぶつかる機会は減り、物事がスムーズに流れ出す。本当は怒りたいのに、本当は悲しいのに、それを押し殺して、潤滑剤としての喜び、笑顔で対応しようと努力したりする。

 

でももちろん人だから、そうした心と体のギャップはどこかに蓄積される。内部に蓄積された歪みの力は時には体調を崩し、時には心を病むことにもなる。

 

感情を押し殺すことで、世間の物事をスムーズに流そうとする力。もちろん、そうして流れていくことによって、大多数の人々がメリットを得ることもある。小さな“抵抗”ひとつが、大勢を阻害することを避けよう、より効率よく社会が回ろうとすることに腐心する。

 

でも、周りがそうして効率よく流れていたとしても、その上で「自分」をこわしてしまってはなにもならない。時には感情を開放したり、思いっきり涙することで、歪みを解消する必要がある。喜びだけではなく、悲しみもそうだし、怒りもそうだ。もちろん、楽しめる時間はいくらあってもうれしいけれど、「楽しみ」だけじゃいずれ刺激に慣れてしまうこともある。いくつかが交互にやってくるからこそ、楽しくもあり、うれしくもある。

 

 

楽しみだけじゃ、喜びだけじゃ、いつまでも喜ぶことはできない。

ちょっと怒ろう。ちょっと悲しもう。

それを別に誰かにぶつけなくても。

そして、大きく喜び、大きく楽しもう。

 

いい季節だ。