叱るなら褒める、褒めないなら…

最近の子育てがどうなっているのかはあまり詳しくないけれど、相対的に日本人は、褒めるのが下手だ。そんな褒めべたの大人に育てられるんだから、子供は褒められ慣れていない。だから褒められるのも下手だ。そしてそうした世代が大人になるから…と、ずっと連なっていく。

 

しっかり褒められて、それを素直に受け入れられる素養が出来上がれば、逆もまたしかりではないだろうか?しっかり怒られるのも時にはあり得るし、そうあるべきだろう。

いわば、「普通」という中庸があったとして、褒められればプラスに振れ、叱られればマイナスに振れる。きちんと褒められそれを受け入れられる、もしくはきちんと叱られそれを受け入れられるというのは、その振れ幅が広いということ。ダイナミックレンジが広がる感じかな。

 

それに対して、しっかり褒めないしそれを受け止められない、であるがゆえに(かどうかはよくわからないけれど)しっかり叱らない、責任を取らせないというのは、振れ幅が小さい、ダイナミックレンジが小さい感じだ。

日本人は「謙虚」という言葉で、このダイナミックレンジを小さくしてきた、ブレを小幅にしていたんじゃないだろうか。

しかしそれではきちんと責任すら受け止めきれない事象が起き始めたりする。マイナスのブレの大きさがどんどんと大きくなる。しかしプラスの側は今までどおりなら。そりゃマイナス側に偏向するだろう。

 

もはやしっかり叱るのなら、しっかり褒めるしかないのだけれど、さて褒められ慣れていない世代が、しっかりと褒めていけるのかどうか…。