井の中

この例えは、自分はできるつもりになっているけれどそれは井戸の中という狭い世界に限られたこと、井戸の外はもっとすごいやつがいるぞ、ということ。

 

そしてそれは今、僕らはいい僕らはいいと思っている実は日本全体が井の中にいないだろうかと憂いてしまうことがある。

 

確かに20数年前、ジャパンアズナンバーワンだとか何とか言ってバブル華やかなりしころ。日本は、世界経済を席巻しようとしていたと言われている。(といっても、その時点でさえ、1ドルが、120-140円程度だったと思うんだけどね。)

 

そして今、GDPでは中国に抜かれて世界第二位の経済大国の地位を譲り渡したわけだけれど、「それでもまだ、日本の製品はすごい」とか「品質では負けない」「サービスはまだまだ」なんて思っている人は、少なくないだろう。

 

でも本当は、もう少し「怖がった」方がいいんじゃないだろうか?

「本当に負けてたらどうしよう?」とか「慢心していてはいかん!」といった心構えが、今こそ必要だったりしないだろうか?

 

『いやいや、今までそれだけ心配しすぎていたからこそ、無駄に残業などしていたわけで、大丈夫、日本人はきちんとしているんです』

なんて雰囲気で過ごしていると、やっぱりずるずると落っこちていきはしないだろうか?

会社の状況が資産面から見てもやばい状況であるにもかかわらず、やっぱり危機感を感じていない雰囲気が漂っていては、それはそれで本質的にまずいんじゃないだろうか?

 

 

とはいえ、それこそが人々の総意としての選択として今があると言う事。幸せだと思う形は人それぞれ。その環境の中に居続けていれば、それはそれで、慣れてしまうことだってある。

北朝鮮の人間が韓国に亡命した後で、たとえばレストランで困ったのは、メニューの品目が多すぎていつも自分で選ぶものを決めなければならないことなんて笑い話もあるくらい。「多すぎて、いつも決めるだけで疲れてしまいます。最初から一つだけに決めてもらいたい」とか。

 

何が幸せか、どんな状況が幸せなのか、それは結果として民意がそういう方向に方向づけていく。いくら政治がしょぼいと言ったところで、それを選んでいるのは国民。あきらめるのも国民なら、自ら立ち上がるのも国民だったりもする。

 

僕らは今、井戸の外もふくめて本当によい環境にいるのだろうか?実は井戸の外の方が良いことはないだろうか?

知らないから幸せという選択肢もある。

知った上で幸せという選択肢もある。

そして、知った上で幸せではないことが分かった時にどうするか。