消えていく日
この季節は母の日として、花やお菓子が送られることもあるだろう。各店舗においても、そうしたキャンペーンをはって、ギフト需要を掘り起こす。
学校や幼稚園などでもそうした日に向けて子供たちに工作を促すこともある。
ところがある集まりで聞くところによると、最近では「母の日」に向けたそうした子供たちの取り組みはあったとしても「父の日」の同じような取り組みは行わないところが少なくないそうだ。理由としては、母子家庭が増えているということにも一因があるらしい。
真実がどこにあるかは別だが、社会のある一面を映し出しているだろうことは想像に難くない。
社会は「母」という役割は守りつつも、もしかすると「父」という役割には、少なくとも今のところはあまり重きを置いていないのかもしれない。
ただ、だからといって「父」が重要でないと言う事ではないのは当然の事。それは役割としての「父」が、「母」として想像される、家事、育児などというわかりやすい内容に比べて意識される内容が薄いといったことが象徴されているだけに過ぎない可能性が高い。本当に理解すべきはその役割と責任であり、それを放り出して他の事をしていいのか、それ以外の事の方が大事なのかということを迫られていると言う事。
あらゆる側面で、実は重要な価値基準を問われている場面が少なくない。いぜんなら、それは秀でた経営者や政治家によって、何となく守られてきたところがあった気がするのだけれど、昨今は、それすら削り始めているように感じる日々。
価値基準をきちんと持たなければ、何かに押しつぶされたり、何かに食い荒らされたりすることも、当然起こるだろう。それが「そうされている」と認識されている人だけが感じられるというところが難しいポイントでもあるけれど。