せんたくは辛いか
これを読んでいる人は、圧倒的に日本人であり、圧倒的に日本国内にいる人だろう。
であるがゆえに、みなさんは日々選択を迫られているということを経験しているはず。
たとえば社食で、外のレストランで、昼食や夕食を食べる際。あなたは数あるメニューの中から「それ」を選ぶ。
自動販売機でもそうだ。たくさんの飲み物の中から「それ」を選ぶ。それは味が気に入っているからか、微糖だからなのか、いろんな判断が働いた結果だろうけれど、それを選ぶ。
家でテレビを見るにしても、いくつかの番組の中から「それ」を見る。他にもいろいろあるにもかかわらず、だ。
いろいろと選択をしている。ということは、それだけ選択肢を提示されているということ。選ぶほどの選択肢がある社会、ということだ。
韓国に、北朝鮮から脱北してきた人が来て戸惑うことの一つに、この「選択」があると聞いたことがある。何でも選ばなければならない。それがとても負担だというのだ。脱北者は「決めてほしい」のだそうだ。それまで自分で決めることなどほとんどなかったから…。
選択肢がないというのは辛い。それは夏の海の家のメニューだったり、さびれた観光地のランチメニューだったりするかもしれない。そういう場面に来て初めて、あぁ、日々選んでいるんだなと言う事を実感したりする。
そして、「選べる」ということのありがたさを、身を持って感じる。
さて、日本の政権だが…(ry.