指示待ちになるなと言うなら

時々こういうことを言う人がいる。

最近の奴らは指示待ちになっていることが少なくない。自分で動くことが必要で、自分で何とかする、そういう人にならなければ、そもそもこれからの社会で働いていくのは難しい…(とかなんとか…)。

ある意味正しいとは思うが、それには前提があるのではないだろうか?

指示待ちにならずに動くと言う事は、そもそもの仕事の方向性を明確に示している必要がある。朝令暮改職場であったり、コロッコロ方針が変わったりするようなところでは、そもそも自分で考えて動くことに大きなリスクが存在していると考えるのがふつう。何かを一つ進めるにしても、勝手にやるのはとても危なく、ずっとずっと確認しながら進めるしかない。
いや、確認するにしてもその頻度やレベルが問題。
「確認のため一応お伝えしておきます。○○で進めていこうと思います。」
なんて報告をしたとたんに
「ばかやろー、お前、ここはそうじゃねーだろう!」
なんて怒られることが何度か続いたりするなら、それこそ、
「(じゃぁきちんと方向性を示せよ。無駄に考えさせんじゃねーよ)」
と思われるのも当然だ。

そういう、本来伝えるべき目的、目標がきちんとメンバーに伝わっている、権限が委譲されている…という前提において、初めて、「指示待ちする奴らは…」と言えるのではないかと思うのだがいかがだろうか?

「行動に移す」には、何にせよ考えなくてはならない。そして、本気で考え出せば出すほど、普通なら、細かい事に気づき、さまざまに対処を検討しながら進んでいく。その大局感すらもたずに部下に丸投げし、そしてそれに気づいた部下のやりかたに文句をつけたりする。それはその上司の考えが浅いことに過ぎないんじゃないだろうか。

指示待ち。
部下が悪い、というのもある意味頷ける。
しかし、ある割合において、それは上司に原因がある部分も含まれているんじゃないか。そんな気がしている。

まぁ、どちらも他責にしている時点で(ry.