この先にあるモノ

手塚治虫の漫画に描かれた世界が、着々と現実化しているなどという例えを聞くことがあるだろう。まだ「車」はチューブの中を飛ぶように走ってはいないけれど。

実際問題として、「鉄腕アトム」を目指して、「ガンダム」を目指してエンジニアになり、そうして描かれたロボットを、世界を構築することを目指した人も、少なくないだろう。

70年代、80年代は、マンガ、アニメはもちろん、それなりのSF作品が多数出てきた時代。サイバーパンクと呼ばれる世界も、すでに80年代に小説として成り立っていたと記憶する。
それ以後にもSFは描かれ続けているとは思うのだけれど、あまり華やかな世界、ぶっ飛んだ世界が描かれたという話はあまり聞き覚えがない。私がそういう小説を読む機会が減ったと言う事もあるのかもしれない。が、インターネットがデジタルワールドを作り上げた以後のそうした想像の世界が、以前ほどの驚きをうむ内容になっていることは、かなり少なくなったような気がしてならない。


エンジニアの考え方の一つとして、今の技術が実際に使われる世界は…と想像するのはよくあること。要素技術が製品として世に出るにはそれなりに時間がかかるもの。手元で実現できていたとしても、安全性、操作性、実用性等々から鑑みて、それぞれをクリアーしていくためにはそれなりの仕掛けが必要になる。
しかし、自分たちの手先から、それらの技術を生み出せるということは、やはり一つの喜びでもあり、今まで世界のだれもやっていないことができるようになった瞬間と言うのは、それはやはりうれしいもの。

しかし、「自分たちの技術の先」というのは、なかなか想像としては、ぶっ飛んだ先を見出すことが難しい。どうしても現実的着地点を見据え、いかにすれば実現できるかということに目が行きがちになるというのも無理からぬこと。

そんな時、少し昔のアニメ、漫画、小説を読んでみてはどうだろう?10年20年ほど前のそうした状況で、できていないことはまだまだある。いまなら、あの技術とこの技術とを組み合わせてこんなことができるというものが、いくつかあるだろう。それを実現するだけで、人々の未来は一つずつ現実化することにもつながる。

技術の進化と言うのは、いろいろな数値が1ケタ上がると、「おぉすごい!」となるけれど、それ以上の感動はなかなか引き出せない。しかしいきなり2ケタ上がると、それは驚天動地の驚きとなって受け止められる可能性がある。
いや、なかなか難しいのはよくよく承知の上なんですけどね。