そいつは結果かプロセスか

プロ野球交流戦をやり始めて何年になるだろう?セリーグパリーグに分かれていて、以前なら一方のリーグだけが強いとか、一方はテレビ放映がほとんどない…なんて言っていた時期もあった。

最近は、野球のテレビ中継も減ったかもしれないけれど、それに負けない形で、スポーツとして、ショーとしての野球の在り方、楽しみ方をどのように規定していくか、作り出していくかと言うところでの工夫の一つなんだと思う。

とは言えご贔屓チームがあり、今年はぜひAクラスで、優勝で、と願っていると、そのチームの勝敗も気になる。

じゃあ結果だけ知ればいいんじゃないの?

ほぼ毎日行われるご贔屓チームの勝敗を、ニュースの結果や、スポーツニュースのダイジェストで知る。あぁ、今日は勝ったか、あれ、今日負けたらやばいだろ。
ピッチャーは誰で、ホームランは誰が打って、フムフム。
ご贔屓チームのすべての試合を、1回の表から試合終了まで欠かさずに見るのは難しい。時にはニュースでその日の結果を知る事でとりあえず満足。

…なのだけれど、これ「結果」なんだろうか?

一つの試合で見れば結果という捉え方もできる。しかしその1年を通して見るとすると、「今日の結果」とは、「1年を通したうえでの一つのプロセス」であり、目指すは今年の結果、ではないだろうか?

本当に「結果」のみを求めるなら、日本の場合、10月ごろに野球チームの順位がどうなっているかを確認して、「ふむ、今年は○○チームが優勝なのね」で十分に事足りる。
でもそこに至るまで、何連勝しただの、どのピッチャーが勝ち続けているだの、さまざまな苦難を乗り越えた、記録を出し続けたプロセスを経てきているのが楽しく、そして大変でもある過程。そして人々の多くは、それを楽しみにしている。
結果だけではなく、途中の在り方、プロセスこそが楽しみの一つ。

見る側のみならず、する側においてもそれは同じこと。人がそれをすること、行う事こそが大事であり、人がそれを成し遂げる事は、一つの結実されたものであり尊い物であるのは間違いないけれど、それだけに意味があるものではない。

ずるいプロセスを経て結果を出すのか。
苦難を乗り越えて、それでも結果に至らなかったのか。
失敗し続けるのも意味はない。それなりの勝率で勝つことが求められているけれど、日々の勝ち負けこそ実はプロセスではないのか?そしてその積み上げで、何を目指すのかが、求めるモノに近づいているのか?近づくべき何かを持っているのか。